(10/18(日)本日の一言メッセージ)
「万人受けすることはできなくても、愛することはできる」
https://9001.teacup.com/sfk/bbs/21812 (写真入り記事)
同じように対応したことで、ある人は喜んでくれて、ある人は気分を悪くすることがあります。
これは、誰も萬人受けする人間にはなれないことを示しています。
その生き方がはっきりしていればいるほど、敵・味方、好き嫌いなどの明暗がはっきりします。
例えば、普通に目立たないで生きている時には、人畜無害ですので、敵・味方、好き嫌いなどをはっきり表す人はあまりいないかも知れません。
ところが、その人が選挙に出馬して、國會議員になったとしたら、敵・味方、好き嫌いがはっきりします。
さらにその人が大臣になったとしたら、さらに敵・味方、好き嫌いがはっきりします。
総理大臣になったとしたら、敵・味方、好き嫌いの明暗がさらにはっきりします。
影響力があるということは、敵・味方、好き嫌いがはっきりするのです。
私も、牧師になり、さまざまなリーダーの立場に立った時から、敵・味方、好き嫌いをはっきり表す人が多くなりました。
私は、10人いたら10人が「あの人は素晴らしい!」といわれる人がいるとしたら、必ず問題が潛んでいると思います。素晴らしい點が目立ち、クローズアップされているだけで、ある日、問題に光が當てられた時には、その評価が逆転することがあると思います。
反対に、10人いて10人が「この人はとんでもない人だ!」といわれる人がいるとしたら、この人も問題です。いいところがない訳ではありませんが、その人の良さが全然生かされていないのです。そんな自分自身を、自分でも駄目だと思っていて、そのダメさ加減を証明するかのように生きるので、悪循環です。
健全なのは、10人いたら5人くらいが、「あの人は素晴らしい!」と評価し、殘りの5人が、「あの人は・・・!」といわれる人です。あるいは、10人中2人が「素晴らしい!」、2人が「問題がある!」といい、あとの殘りの6人は、「普通じゃない!?」などの評価を受ける人です。
つまり、萬人受けする生き方はできないのです。不可能です。それはイエス様でさえ人々の評価を二分し、十字架につけられてしまったのです。しかしイエス様のためにいのちをかけた弟子たちをはじめ、多くのクリスチャンがイエス様のためにいのちをかけて生きています。
私たちは、萬人受けしみんなから好かれ評価されることを願い、目指しても、「人からどう見られるか?」を気にするよりも、「神からどう見られているか?」を気にし、「人々をいかに愛するか!?」を目指していきたいものです。
そこに幸せがあり、豊かさがあり、正直さがあり、誠実さがあり、人間味があります。
「評価されるか?されないか?」は、神にゆだねて、神に評価され喜んでいただける人生を祈り求めて生きていきましょう。
私は人の顔色を気にしたり恐れることがなくなり、代わりに、神の御顔を気にし、そのまなざしを感じる時に最高の幸せを感じます。
そんな人生を教え導いて下さる神様に感謝をいたします。
【動畫メッセージ】
「聞くことを語ることの2倍の訓練をしよう」
https://youtu.be/jF1cGZR5kPU
【渋谷の街中からオンライン路傍伝道動画】
https://youtu.be/dUmyr8_Xar4
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