本州中央を南北に縦断する道があります。古くは塩の道として、北の日本海の塩と、南は
太平洋の遠州灘の塩が、人馬が険しい山道を往来して、塩やコメなどの物資を運搬してき
ました。この道は秋葉山に詣でるための信仰の道でもありました。遠州相良を起点にして
菊川=掛川=森町=春野=龍山=佐久間=水窪〜兵越峠〜南信濃村 ここから天竜川に沿
って、飯田経由諏訪湖まで遡ります。塩の道では「浜背負い」と呼ばれた女性たちと小柄
な木曽馬が搬送の主役だった。まだ、大きなダムがなく、水量豊かな川面を沢山の船が行
きかって、様々な物資を運んでいた時代。現在の浜松市天竜区佐久間町の西渡地区は、水
運陸運の要の場所。その当時、浜と呼ばれた川岸の船着き場から、重たい荷物を背負い子
に乗せて運び上げる女性達がいました。「浜背負い」と呼ばれた彼女たちは、近くの山林
や鉱山で働く夫に代わって浜の荷役を引き受けていた近在の主婦です。何十キロもある塩
や米俵、酒樽などを背負い「八丁坂」と言われた急峻な坂を上って、荷継ぎ場のある明光
寺峠まで荷揚げしていました。家族のためならどんな労苦もいとわぬスーパーウーマンで
あったと言えましょう。かつての西渡は、狭い道筋に飲食店や旅館が並び、大変な賑わい
だったそうです。特に明治33年(1900)に古河鉱業の久根鉱業所が銅鉱石の採掘を開始
してからは、一段と活況を呈した。山腹のあちこちに鉱山の社宅が立ち並び、人口も増え
通りに面して作られた購買部は、社員とその家族たちでいつも満員でした。通りには塩を
扱う「塩問屋・達磨屋」の建物が今も残ります。久根鉱山は昭和45年(1970)に閉山となり社宅の人たちが外へ移転して、一気に寂しくなりました。
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