文集「三木の里」3号と4号に記載された大隅信好氏の「石松のふるさと」という文と
「私説・森の石松」があります。多分、後援会の時に頂いてきたように思います。
これによれば、筆者は愛知県新城市富岡に行き、酒屋の97歳のお婆さんに会って、
石松の弟である庄次郎こと佐与吉のことを聴きに行ったという。当時は三州八名郡八名
村といい、現在は新城市である。老婆の名前は、安形さつ(97歳)。石松の話を聞き
たいというと、まずは自分の生い立ちを述べて、次に本題に入った。
曰く「3歳ぐらいの時に豊川のほとりで「さきさ」によう遊んでもらった。兄貴の石松
はみたことはないが、さよさは中背で、やせ形で赤ら顔で、えらい酒が好きでよ、よく
この店へも飲みにきいはったのう。その時分はさよさは四十歳くらいだったかのう。
ご本人のさつさんは、21歳の頃に近在の家から、この酒屋「千鳥屋」へ嫁いできた。
店は当時からずっと酒屋をしている。そして、さよさの兄貴の石松の話に及ぶのでした。
兄の石松は剛毅、弟のさよさは気が弱かった。
同家(山本家)の家系は次の通り。
山本庄七−−−−−助治
先妻ーー石松
助冶
後妻ーー庄治郎(こと佐与吉)天保6年生まれ==明治39年没
|−−妹
さよさも石松も旅好きでよく一緒に旅行したらしい。旅の出がけに近所の老婆が豆を
炒って差し出したが、石松はこれには手も触れずに稼ぎに行ってくるぞと言い放って、
出発したあと、さよさに向かって「今度の旅はろくじゃ帰れんぞ(無事には戻れんぞ)」
と言ったという。そして、その旅というのが、推測するに金毘羅代参からの帰途、故郷
に立ち寄り、清水へ向かっての出立であり、その後遠州の茶畑で一命を落とすことにな
ったのだと付け加えた。(続く)
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