(7.11 今日の一言メッセージ)
「嫌いと無関心」
https://9001.teacup.com/sfk/bbs/21455 (写真入り記事)
「人から嫌われることが怖い」ということを聞くことがあります。
人から嫌われることは本当に怖いことでしょうか。
「愛の反対は無関心」だと言われますが、私は、人から嫌われることよりも、人から無関心扱いされる方がつらいし寂しく感じます。
妬まれたり、嫌われて意地悪されるのは、ある意味、強烈なエネルギーを感じますが、「いてもいなくてもいい」というのは無関心であり、無視です。
神様は、私たち一人ひとりに強く、強烈な関心を持って下さっています。
神様からの関心を受け止めて、その関心で自分自身への関心を抱き、同じように、他者に対して関心を持ちたいものです。
自他に対して、マイナスの関心があった場合は、プラスに切り替えましょう。
最近は少なくなりましたが、車のマニュアルミッションは、クラッチを切って、ギヤーを入れ替えて再びクラッチをつなぎます。
ギヤーによって、同じエンジンの力を、前進にもバックにも使えるように、マイナスの関心は、一旦クラッチを切るように、祈りによってその関心を切り離して神に向けます。そして、妬みや憎しみを愛や憐みなどに変えて、再び相手に向けるのです。
無関心というのは、エンジンの力がまったく伝わならい状態です。
「無関心」とは、やっぱり愛の真逆なのでしょう。
嫌いは嫌いで良いし、嫌いを好きに変えるのは自分ではできません。クラッチを切って、一旦動力を切り離してから違うギヤーに入れ替えるように、祈りでクラッチを切り、神によってシフトをチェンジをしていただき、クラッチをつないでいただくのです。
車の例をあげると、運転する人と運転しない人がいますので、両方の立場で話さなくてはいけません。
車を運転する人は、助手席に乗っていただいた神様の指示に従って、クラッチを切り、シフトチェンジをして、クラッチをつなぐように、神様の導きに従いましょう。
車を運転しない人にとっては、神様に運転席に座っていただき、神様にすへてを明け渡し、神様がなさりたいようにしていただきましょう。
人から嫌われることを怖れる必要はありません。わざと嫌われる必要はありませんが、嫌われていると知ったら、その相手は自分に対して強烈なエネルギーを向けてくれいることを喜び、シフトチェンジして、感謝をし、愛をお返ししていったらどうでしょうか。
人は、嫌っていた人でも、その相手から好かれて悪い気はしませんし、好きに変わることもあり得ます。
こちらから相手を好きになっていきましょう。
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