屏東県の旅では、台湾製糖から招聘されて現地で地下式のダムを造った
袋井市山梨出も身の鳥居信平(1883〜1946)である。森町とはすぐ隣接
するこの地の偉人を顕彰することも今回の台湾訪問団の目的である。では
鳥居氏の略歴を紹介します。明治16年袋井市上山梨に生まれる。農家の
三男で、裕福な家でした。静岡中学から第四高等学校(現在の金沢大学)
を卒業して東京帝国大学農科大学に進む。卒業後、農商務省農業局へ。
中国大陸へ約1年半滞在、農林学校の教授として勤務。29歳で帰国。(1912)
徳島県土木課へ土木技師として奉職。大正3年台湾製糖から灌漑土木工事を
担当できる技師が欲しいという要請があり、東大の恩師とも相談して引き受け。
事前調査を2年間、未開の山野をくまなく実地調査。データを収集して地下式の
ダム設置が、原住民のためにも利水を受ける農民にも良いことを、現地の高砂族
とも膝詰め談判して、納得を得て大正10年(1923)着工した。地下埋設のダム
本体工事、総延長3,436mの導水路。難工事であった。大正12年(1923)完成。
ダムは「二峰洲」(にほうしゅう)と名付けられた。40歳だった。その後台湾製糖
の常務となるが(昭和12年)翌年、病のため日本へ帰国。台湾製糖本社で、日本各
地の干拓事業に関わるが、太平洋戦争の勃発、終戦を経て昭和21年2月脳溢血にて
倒れ帰らぬ人となった。しかし、その業績は脈々と生きており、台湾製糖は台湾の
ものとして引き継れたが、「二峰洲」は現在も現地の人の生活に欠かせないものだ。
」
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