夏も終わりに近くもう少しでお彼岸がくる。大田川の堤防に「むくげ」が咲き始め
警察署の道場の庭にある真白いサルスベリが白い花を満開にしている。明治座は今夜
は浪花節の興業がある予定だが、まだ閑散としている。このところ2,3日、明治座
は興業も無く休みが続いている。下足番も小屋の仕事はお休みだ。不景気時の一文商
いの諺があるが、一銭二銭の子供相手の商いが己の使命と心得て満足している下足番
は町へ出ることが一番愉しい。さわやかな秋空が続き公孫樹も色づき始めた頃、明治座
を昼夜二日間借りきり、警察の武道場まで生徒の控え室に使って催される恒例の小学校
の大音楽会も、父兄の期待に応え無事に終わった。明治座の小屋の事務所。四角な欅の
大火鉢を囲んで弁士の丸田天香と楽士連中が浮かぬ顔で座っている。「映画もいよいよ
近いうちにトーキーになったら、俺たちの仕事も終わりだなあ」「トーキーって時々話
しに聴くけど、どんなものなのさ?」「フィルムの横に音が録音してあってさ、スピー
カーっていう箱から映画の中の役者がしゃべる声や音がそのまま聞こえるんだ」「えら
いもんが出来たもんだねえ。それじゃ、弁士も楽隊もいらんわなあ」「そうだよ。次か
ら次へと色んなものが発明されるがトーキーとくりゃ俺達弁士も楽士も無用の長物、余
分な人間だ。お互い様早いとこ身の振り方を考えなくちゃあ」「近いうちって、いつ頃
からだい?」「東京じゃもう始まってるって言うぜ」そこへ、小屋の親方が入ってきた。
「大将、ここでもやっぱりトーキーとやらにするのかね?」下足番が尋ねる。
「いつか判らんが時勢の流れだ。ここだってそうするより他仕方があるめえさ」弁士や
楽士はこの社会では自分たちが貴重な存在であり誇り高い職業だと信じている。前々
からの噂で多少の覚悟はしていたが、現実のこの先三月・半年の間に己の存在価値が
無くなってしまい、どこかへ放り出される事を思うと不平や文句のやり場がない不安
は隠せない。誰もかれも自分の事で忙しい。活動写真がトーキーになるのも遠いこと
ではない。親方や弁士も楽士もこれから何かと大変だ。今日の午後からは芝居の市川
一座が顔見世で舞台衣装を着けて、三味線・太鼓のお囃子で町へ繰り出しデモンスト
レーションをするのである。旗持ち役の下足番は支度に忙しい。(完)
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