『御茶ノ水駅 路傍伝道』と『第25回賛美集会』
「伝道において大切なことは、神をあらわすことであり、生き方を分かち合うこと」
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https://9001.teacup.com/sfk/bbs/20618 (写真入り記事)
毎月、御茶ノ水クリスチャンセンターで賛美集会を行っています。御茶ノ水クリスチャンセンターは、1955年(昭和30年)に建設されて、今に至っています。実に、64年の歴史があります。毎回、賛美集会の前の1時間半は、御茶ノ水駅前で路傍伝道を行いますが、「守られている」と感じます。御茶ノ水クリスチャンセンターでささげられて来た祈りと無関係ではないと感じます。聖書は語ります。「求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。」(マタイ7:7)伝道をする私たちは、土の器である人間です。しかし、その中に宝を宿しています。「私たちは、この宝を、土の器の中に入れているのです。それは、この測り知れない力が神のものであって、私たちから出たものでないことが明らかにされるためです。」(第二コリント4:7)時々、「路傍伝道の秘訣を教えて下さい」といわれますが、テクニックではありません。しかし、あえていうならば、祈りであり、神と共に働くことです。そして、状況や環境に逆らわないで、その場にふさわしい対応をすることです。すごくうまく行く時もあれば、邪魔が入ってうまく行かない時もあります。しかし、うまく行かない時に、神様に聞き、神様の導きに従うと、うまく行っている時以上の祝福があります。大切なのは、自分のやりたいようにやり、自分の力に頼って働くのではなく、神がなさりたいことをキャッチして、神に頼って働くことです。そして、自分をあらわすのではなく、神をあらわすことです。そして、神に栄光を返すことです。神に仕えるどんな働きにも罠が隠されています。うまく行かないと、つい肩に力が入ってしまって、自分のやり方で対処しようとします。そして、それがうまく行くと誇り高ぶってしまうのです。そして、うまく行かないと人や状況のせいにして、不平不満をいってしまうのです。キリスト教は宗教ではなく、神と共に生きる生き方であり、天国に通じる道です。イエス様は、「私は道である」といわれましたが、その道をキリストと共に歩むのです。伝道とは、その生き方、価値観を伝える分かち合うことです。そして、キリストと出会ってもらうことです。うまく行く時も、うまく行かない時にも、キリストがあらわされることが伝道です。うまく行く時、神に栄光を帰し、うまく行ってない人のことを顧み、助けたいものです。それが伝道です。うまく行かない時、どん底を経験しても、キリストが先に十字架にかかり、死んで墓に葬られ、よみに下られたことを思い、自分が低くされたことを感謝し、キリストと共に高くされることを期待したいものです。「しかし、あわれみ豊かな神は、私たちを愛してくださったその大きな愛のゆえに、罪過の中に死んでいたこの私たちをキリストとともに生かし、──あなたがたが救われたのは、ただ恵みによるのです──キリスト・イエスにおいて、ともによみがえらせ、ともに天の所にすわらせてくださいました。」(エペソ2:4〜6)人々は、私たちの路傍伝道を見て見ぬふりをすることがありますが、話を聞くと、見ていないような顔をしても、実は見ているのです。見られていることを忘れないようにしたいものです。聖書は、「人はうわべを見る」と語ります。役者のように演じるのではなく、等身大の神と共に生きる人生の素晴らしさの知っていただき、見ていただきたいです。私たちの伝道が、神と共に生きる人生の素晴らしさを伝えられるようにお祈りをお願いします。
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