「ひとりぼっちも、仲間といるのもどちらも良い」
https://9001.teacup.com/sfk/bbs/20460 (写真入り記事)
「人間」という漢字を、「人の間(あいだ)」と書かせるのは、人と人との関係の中で生きる存在だからなのでしょうか。
人は一人で生きていけない。
私は、ひとりぼっちも経験したことがありますし、たくさんの仲間に囲まれることも経験したことがあります。
キリスト教関係の全国大会に行くと、ほとんどが知り合いということがあります。そうすると、心強くうれしい反面、知り合いが多過ぎて疲れてしまうことがあります。
ところが、宗派が違ったり、関わりの薄い団体の全国大会行くと、知り合いが少ないことがあります。気楽な反面、仲良く話している人たちを見ると、少し寂しさを感じます。
人は、人との関わりの中で生きる存在だと痛感します。
しかしもう一つ、「人間」の「間(あいだ)」の字を「間(ま)」と読むこともできます。
人は、神によって造られたと聖書は語ります。
「そして神は、『われわれに似るように、われわれのかたちに、人を造ろう。そして彼らに、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地をはうすべてのものを支配させよう。』と仰せられた。神はこのように、人をご自身のかたちに創造された。神のかたちに彼を創造し、男と女とに彼らを創造された。」(創世記1:26〜27)
人が造られた経緯は下記のように記されています。
「その後、神である主は、土地のちりで人を形造り、その鼻にいのちの息を吹き込まれた。そこで、人は、生きものとなった。」(創世記2:7)
�/世�、粘土で形造られた。
�⊃祐屬侶舛鬚靴薪擇硫瑤法⊃世�、いのちの息を吹きこんだ
��そうしたら、人は、生きものとなった。
人の間(ま)に、神の息が入ることで人間の形をした粘土が人間になったのです。
しかし、蛇の姿を取った悪魔の誘惑によって、人は神を捨ててしまいました。
その時、神の息は人から離れました。
その結果、人は、いのちの力の影響でしばらくは生きますが、しばらくしたら死ぬようになりました。
これは、花束や生け花を見たらわかります。しばらく咲いていますが、しばらくしたら枯れてしまいます。
「わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。だれでも、もしわたしにとどまっていなければ、枝のように投げ捨てられて、枯れます。人々はそれを寄せ集めて火に投げ込むので、それは燃えてしまいます。」(ヨハネ15:5〜6)
聖書が教える罪とは、原罪のことで、神の息が離れた状態を指します。
人間とは、「人の間(ま)」に神が臨在し、住まわれることによって生きる存在だと、「人間」という漢字を作った人が意図したかどうかわかりませんが、そのことを暗示し、教えているのではないかと思います。
私たち人間は、先祖アダムとエバが犯した罪によって、神の息が離れた存在として生まれて来ました。
「ああ、私は咎ある者として生まれ、罪ある者として母は私をみごもりました。」(詩篇51:5)
だから、私たち人間は死ぬのです。
しかし、元々は、永遠に生きる存在として造られました。
人は、潜在的に永遠に生きることを知っているのではないかと思います。
「神はまた、人の心に永遠への思いを与えられた。」(伝道者の書3:11)
人は永遠を知っているからこそ、人は死にたくないし、死に対して違和感を感じているのです。
神は、死を滅ぼして、永遠のいのちを与えるために、ひとり子イエス・キリストをこの地上に遣わして下さいました。
「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」(ヨハネ3:16)
イエス様は、十字架、葬り、復活によって、信じる人に、「人の間(ま)」に、人が造られた日のように、神を迎えることができるようにして下さいました。
「人の間(ま)」は、「人」や「物」で埋めても、決して満たされません。
それは代用品に過ぎないからです。
「人の間(ま)」は、「神」でしか満たすことができないのです。
いつも仲間に囲まれている人は、ひとりぼっちの自分に気づきにくいかも知れません。
中には、人と一緒にいることで、余計に孤独を感じてしまう人もいるかも知れません。
しかし、ひとりぼっちの時が、自分の間(ま)を感じ取りやすいのではないかと思います。
だから、ひとりぼっちも良いのです。
クリスマスにひとりぼっちで、「クリぼっち」で寂しいでしょうか?
いや、「クリぼっち」は幸いです。
キリストが共におられることを感じられる人は、永遠に共におられる方を知っているので、ひとりぼっちではないし、寂しくありません。
「ひとりぼっちも、仲間といるのもどちらも良い」のです。
今日も素敵な1日でありますように。
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