「人生はどんでん返しの連続」
https://9001.teacup.com/sfk/bbs/20179 (写真入り記事)
「二度あることは三度ある」と言われます。
二度悪いことが起こると、「もう一度繰り返されるものだから、注意せよ」という意味です。
「どんでん返し」という言葉を聞いたことがあると思います。
小説や映画のストーリー展開において、大方の予想を大きく裏切り、一旦終結したかに見えたストーリーを大きく覆した結末が用意されていることを言います。
「二度あることは三度ある」は、「悪循環」ですが、「予想できる範疇」のできごとです。
しかし、「どんでん返し」は「想定外」のことです。
人生を長く生きていると、何度も「どんでん返し」を経験します。
聖書は、「私の兄弟たち。さまざまな試練に会うときは、それをこの上もない喜びと思いなさい。」(ヤコブ書1:2)と語ります。
「試練」は、「想定外のできごと」であり、「どんでん返し」です。
「神を信じ、善行をしていたら、悪いことは置きることはないはず!?」というのは、根拠のない楽観主義者です。
聖書は、「どんでん返し」を教えますが、それは、単なる「どんでん返し」ではありません。
「どんでん返し」のさらに「どんでん返し」です。
イエス・キリストの「十字架」と「復活」のできごとは、「どんでん返し」のさらに「どんでん返し」です。
イエス様は、キリスト教でいう神の御子であり、神ご自身です。罪を犯したことがなく、罪が何であるかでさえ知らないのに、なぜ十字架で処刑され、墓に葬られ、よみにくだり、三日目に復活されたのでしょうか?
キリストは、死ぬためにこの世に生まれたので、十字架の死は予定通りです。
しかし、聖書を読む私たちには、「どんでん返し」です。
神は立法者です。
最初、たった一つの法律を造られました。
「エデンの園の中央にある善悪の知識の木の実を食べてはいけない。食べたら死ぬ」というものでした。
アダムとエバは、そのたった一つの法律を破りました。
たった一つの律法を破ったということは全てを破ったに等しいことです。
結果、アダムとエバは「死刑」にならざるを得ませんでした。
しかし、神はアダムとエバを愛していました。何とか死刑を回避させたいと思いました。
ここで、神が恩赦を出したり、罪を水に流したら、神の正義は曲げられ、立法者としての面目が立たなくなります。
神の出された結論は、法律を変えるのではなく、神自らがアダムとエバの身代りに「死刑」となって、アダムとエバを赦すことでした。
神ご自身が、アダムとエバの身代りに「死刑」になったのが、イエス・キリストの十字架です。
アダムとエバの罪の赦しの中に、その子孫である私たち全人類の罪の赦しも含まれています。
しかし、罪の赦しは自動的に私たちに与えられるのではありません。
信じることが必要です。
「ありがとうございました」と受け取ることです。
神は、マインド・コントロールして、求めてもいないのに無理やり人を救うことはないからです。
キリストは十字架で死なれ、墓に葬られ、よみに下りました。
しかし、そこで終わったとしたら、人類は取り残されて寂しいです。
キリストは、死を打ち破って「復活」されました。そして、今も生きておられ、私たちと共におられます。
『イエスは言われた。「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。また、生きていてわたしを信じる者は、決して死ぬことがありません。このことを信じますか。」』(ヨハネの福音書11章25〜26節)
私たちの人生には「どんでん返し」が付きものです。
しかし、「どんでん返し」は一度で終わりません。さらに「どんでん返し」が待っています。
一回目の「どんでん返し」がマイナスの出来事だとしたら、もう一度来る「どんでん返し」は、マイナスがプラスに変わる「どんでん返し」です。
マイナスの出来事はできれば起こってほしくないものですが、マイナスという「どんでん返し」とマイナスがプラスに変わる「どんでん返し」は、あなたの人生に刺激を与え、感動を与え、退屈を感じさせることはありません。
今日あなたは晴天の霹靂のように、唖然とするような「どんでん返し」を味わっているでしょうか?
心臓に良くないと思えるかも知れませんが、「どんでん返し」を楽しむ余裕が持てたらいいですね。
その秘訣は、「どんでん返し」を与えても、さらなる「どんでん返し」を与えて解決して下さり、解決とともに祝福を与えて下さる神に信頼し、神と共に歩むことです。
素敵な一日でありますように。
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