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2019年05月21日12:58

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一神教・多神教を超えて

「一神教・多神教を超えて」
「一日一シャ〈謝と捨と洒と写〉2019/5/21(火)【1484】」

https://9001.teacup.com/sfk/bbs/19951 〈写真入り記事〉

一神教、多神教、世界には様々な神観があります。

日本は、八百万の神々という価値観が一般的で、一神教の「唯一神」に対するアレルギーを持つ人がいます。

世界的な視野で見ると、無宗教は少数派であると言われますが、日本では、宗教に入っていないことが中立で、無色透明であるように考える人がいます。

「一神教は独善的で恐く、多神教が『和をもって尊しとなす』でみんな仲良くするので良い」と考える人がいますが、本当でしょうか。

私は、「一神教か、多神教か」よりも、「どんな神を信じるか?」が大切だと思います。

「なにごとのおはしますかは知らねども かたじけなさに涙こぼるる」と言われます。精神としてはいい感じがしまうが、誰だかわからない存在を信じ、その存在にすがるというのはどうでしょう。

道端で歩いている恰幅が良くて、慈愛深そうな男性を見つけて、「こんな方がお父さんだといいな!」と考えて、「よし、この方を親父と思い込もう!」と念じても、その相手はお父さんではないし、相手も困ってしまうことでしょう。

産みの親と育ての親の二人を持つ人もいますが、自分を産んでくれた父親と母親は一人です。

そのように考えるのは、独善的で恐いことでしょうか。

聖書は、「神は愛である」と教えます。

「その神がすべてを創造され、人間を造られた」というのです。

もし、その愛の神を信じたとしたら、不寛容で、排他的で、独善的になることがあるでしょうか。

もし神が、そのように、不寛容で、排他的で、独善的な存在だとしたら、とっくに人間を滅ぼし、世界を滅亡させているはずです。

しかし神は、一人子イエス・キリストをこの地上に送って下さり、不寛容で、排他的で、独善的で、自己中心な人間の罪を背負って死んで下さり、よみがえられて、救いを完成させて下さったのです。

ありのままの神を知り、その方を神として受け入れて、その方と共に生きるならば、この地球は天国のように変わります。

悪魔が、「そうさせまい!」と躍起になって、仲良くし、愛し合い、助け合うべき人間同士を仲違いさせているのです。

今日、悔い改めて、イエス様を心に受け入れましょう。

一神教か、多神教か、などという枠組みを超えて、無宗教、無神論の枠を超えて、すべての大元であり、すべての源であり、創造者である方に立ち返りたいものです。
「初めに、神が天と地を創造した。」(創世記1:1)

「私たちは、神の中に生き、動き、また存在しているのです。」(使徒の働き17:28)

「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」(マタイ11:28)
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