「人は簡単には変われない!しかし、神様は人を変えて下さる!」
「一日一シャ〈謝と捨と洒と写〉2019/5/2(木)【1465】」
https://9001.teacup.com/sfk/bbs/19898〈写真入り記事〉
「人は簡単には変われない!しかし、神様は人を変えて下さる!」
これが、長年クリスチャン生活を送って来た中で感じていることです。
表面を変えることだけならば、それを演じれば良いのですから、難しくはありません。
しかし、それを聖書は「偽善」と呼ぶのです。
偽善とは、「演技、振りをする」という意味のラテン語の「ヒポクリシーズ」から派生した言葉です。さらに遡るならば、古代ギリシャ語の「演じる、振りをする」と同じ意味の言葉です。
「忌わしいものだ。偽善の律法学者、パリサイ人たち。あなたがたは、やもめたちの家を食いつぶしていながら、見えのために長い祈りをするからです。ですから、あなたがたは、人一倍ひどい罰を受けます。」(マタイ23:14)
「祈るときには、偽善者たちのようであってはいけません。彼らは、人に見られたくて会堂や通りの四つ角に立って祈るのが好きだからです。」(マタイ6:5)
「断食するときには、偽善者たちのようにやつれた顔つきをしてはいけません。彼らは、断食していることが人に見えるようにと、その顔をやつすのです。」(マタイ6:16)
なぜ、人は善人を演じたがるのでしょうか?
それは、善人だと思われた方が、人からの評価を得られるし、得をするからです。
しかし、それが単なる演技であるとしたら、人を騙す詐欺と何も変わりません。
急がなくても大丈夫です。イエス様を信じて、神と共に生きるならば、人は必ず変われるのです。
しかし、同時に覚えておかなければならないことは、人は簡単には変われないということです。
そして、自分の力で自分を変えることは、不可能です。
前述のように、演じることは出来ますが、人の本質を変えるということは、鉄棒にぶら下がって懸垂をして上に行こうとすることや、自分の髪の毛を引っ張って背を伸ばそうとするようなものです。
しかし、イエス様を通して神とつながるならば、木につながった枝のように、成長し、花を咲かせ、実を結ぶように、人は成長し、変われるのです。
「わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。」(ヨハネ15:5)
そのためには、変わろうとするのではなく、変えていただくことを許可し、変えて下さる神に自分をゆだねることです。
神様は、一生という時間をかけて、私たちを造り変えて下さいます。
イエス様を信じることを後回しにしないで、イエス様を信じましょう。
「あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えよ。」(伝道者の書12:1)
「神は言われます。『わたしは、恵みの時にあなたに答え、救いの日にあなたを助けた。』確かに、今は恵みの時、今は救いの日です。」(第二コリント6:2)
引き続き、ゴールデンウィークをお楽しみ下さい。意義ある時間を過ごせますように。
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