「【一日一シャ】とは!?」
「一日一シャ〈謝と捨と洒と写〉2019/4/17(水)【1453】」
https://9001.teacup.com/sfk/bbs/19850 〈写真入り記事〉
【一日一シャ】とは、感謝のバトンリレーのバトンがまわってきたことをきっかけに、その後、【一日一善】をオマージュして、リメイクして作ったものです。
「一日一シャ」の「シャ」とは、「〈感謝の謝〉、〈断捨離の捨〉〈洒落(しゃれ)の洒〉、〈写真の写〉」です。
主に、一日一回の感謝について、あるいは、感謝の理由についての内容を書いています。
次に、「断捨離」の「捨」とは、古い生き方を捨て、悔い改め、新たな決断をしたなどの内容をたまに書きます。
「洒落(しゃれ)」の「シャ」は、ダジャレ、親父ギャグ、ブラックジョークなどを、スパイス的に入れたいと思っていますが、物足りないのか、効き過ぎているのか、本人はわかりません。
最後の写真は、他の投稿でも必ずといっていいほどセットで付けています。
写真を添える理由は、実際の写真の場合と、その内容のイメージを写真で表現する場合がありますが、視覚的にわかりやすくするためです。
そして、もう一つの理由としては、投稿の内容に同意できなかったり、意味が理解できなくても、写真を見て、「いいね!」と思って下さったら、それも「いいね!」だからです。
読者層は、ネットで関わっている人の半分はクリスチャンの知人・友人。半分はクリスチャンではない知人・友人です。
クリスチャンでない人を「未信者」と言いますが、これは、「未だクリスチャンになっていないけれど、未来にクリスチャンになるかも知れない人」です。
「俺は神を絶対に信じないぞ!だから、布教はしないでね」という人がいますが、この世の中に「絶対」はあるでしょうか!?
決して押し付けることはしませんが、できるだけありのままに、かつストレートに分かち合いたいと思っています。
キリスト教は信じないけれど、私が書くコラムに同意をして下さる方もいます。キリスト教の内容にはちょっと違和感を感じているけれど、友達であることには変わらないと思う方々もいます。
SNSの良いところは、「何を言うか!?」よりも「誰が言うか!?」が重視されると思います。
それは、通常の人間関係でも同じかも知れません。
有権者が選挙で投票する候補者の基準も、「どんな政策を持っているのか!?」も大切だと思いますが、「この人が好き!」という人気投票になってしまうことがあります。
どんな世界においても、本来は、「誰が!?」よりも、「何が!?」が優先されなくてはいけないと思います。
例えば、牧師が、聖書をそのまま語る時に、教会に集う信者は、「アーメン!」と言うべきです。
そして、もし、牧師が、聖書とかけ離れた独自の見解を語った時には、勇気を持って、「牧師様、・・・・」と語りたいものです。
同じありふれた助言を、その道の権威者が話すと、「さすが先生!」と、ありがたくそのお言葉を頂戴するのに、同じことを、若くて、好かれてない人が話すと、「この若造が、何を言ってるんだ!?」となるものです。
SNSでつながっている人の中には、親友もいますし、いつも会う人もいます。時々会う人や年に一度くらい会う人もいます。中には、ネット上だけの知り合いの人もいます。共通点は、温度差はあっても、好意を抱き合っている関係だと思います。
その友達一人ひとりに、そして、その友達の友達に、聖書を伝えられることを感謝しています。
書いた内容に同意できなくても、写真単体や写真の組み合わせに共感してくれたり、話の本筋に同意できなくても、話の枝葉に同意してくれたら、それもありがたいと思います。
今日で、「一日一シャ〈謝と捨と洒と写〉【1453回目】」を迎えました。
毎日続けて来られたのは、見て下さり、読んで下さり、関心を持ってアクセスして下さる方々がいるお陰です。
心から感謝を致します。
引き続き、心通わすことが出来たら幸いです。
今後ともよろしくお願いします。
ログインしてコメントを確認・投稿する