「何を土台にして生きたら良いのか?」
「一日一シャ〈謝と捨と洒と写〉2019/4/11(木)【1448】」
https://9001.teacup.com/sfk/bbs/19829 〈写真入り記事〉
人は何を土台にして生きているかは、試練によって試されます。
「わたしのもとに来て、わたしのことばを聞き、それを行なう人たちがどんな人に似ているか、あなたがたに示しましょう。その人は、地面を深く掘り下げ、岩の上に土台を据えて、それから家を建てた人に似ています。洪水になり、川の水がその家に押し寄せたときも、しっかり建てられていたから、びくともしませんでした。聞いても実行しない人は、土台なしで地面に家を建てた人に似ています。川の水が押し寄せると、家は一ぺんに倒れてしまい、そのこわれ方はひどいものとなりました。」(ルカ6:47〜49)
聖書は、地免を深く掘って、岩の上に家を建てることと、土台なしで家を建てることを対比して語ります。
土台とは、何が変わっても揺れ動かない確かな地盤です。
例えば、海岸の砂浜のように、波が押し寄せて来る度に形が変わってしまうものは地盤とは言えず、土台になりません。
私たちの住む世界において、何が変わっても変わらない、地盤となるものはあるでしょうか?
「形あるものは必ず壊れる」と言われます。
つまり、この世界において土台に出来るものはないのです。
いのちの息のある人はいつか必ず死ぬし、全宇宙も、地球も、その中に住むすべての動植物も、すべてが限りあるものです。
あらゆる価値観、哲学、宗教も、今は通用しても、やがて廃れてしまいます。
聖書は、宗教書ではなく、全人類と全被造物を造られた神の言葉です。ゆえに、変わることがないし、変わる必要もありません。
そこに、自分の土台を据える人は、聖書が言うように、「洪水になり、川の水がその家に押し寄せたときも、しっかり建てられていたから、びくともしませんでした。」(ルカ6:48b)という確かな人生を生きることが出来るのです。
「地面を深く掘り下げ、岩の上に土台を据えて、それから家を建てた人」(ルカ6:48a)とは、どんな人でしょうか?
「わたしのもとに来て、わたしのことばを聞き、それを行なう人たち」(ルカ6:47)のことです。
聖書が語る「神」の元に行き、「神の言葉」を聞いて、実行する人のことです。
神は、2019年前に一人子イエス・キリストをこの地上に遣わされました。
神の元に行くとは、修行をし、真面目になり、良い人間に変って、神のおられる天に近づいていくのではありません。
神の側からあなたのところに来られたイエス・キリストを受け入れることです。
「何もしなくていい、ただ信じなさい!」と言われるのです。
それは、神にお任せすることです。自分に死ぬことです。
さらに、神の言葉に聞き、それをそのまま実行することです。
神の言葉を聞いて、実行するとはどうしたら良いでしょうか?
�/世�遣わされたイエス・キリストを信じること
�△海諒�を人生の主と迎えること
��洗礼を受けること
そこから人生の土台作りがスタートします。
私は、数え切れないほどの人に洗礼を授けて来ました。しかし、その多くの人が、洗礼を受けたことで、キリスト教を卒業してしまいました。
これは、大きな勘違いです。イエス様を信じて、洗礼を受けるとは、キリスト教の入学式なのです。
そして、キリストにつながり、キリストと一体になり、キリストと共に歩み続けるのです。
「わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。」(ヨハネ15:5)
卒業とは、天国に入る日です。
キリストというぶどうの木につながった途端、「はい、卒業させていただきます」というのは、一瞬キリストにつながって、再び、キリストから離れてしまうことなのです。
聖書は、「わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。」(ヨハネ15:5)と語ります。
確かな土台に一瞬だけ家を建てて、すぐに土台から切り離して、海岸の砂浜にポンと置いただけの家みたいなものです。
干潮の時には問題なくても、満潮になったら、水が溢れますし、台風がやって来て、大波や高潮が来たらひとたまりもありません。大地震が起こって津波が来たら、ぼろぼろにされてしまいます。
確かな土台の上に自分自身を据えたら、その土台は一生動かしてはいけないのです。
何も問題のない時には、確かな土台のありがたみを感じませんが、問題が起こり、試練がやって来た時には、確かな土台のありがたみがはっきりわかります。
あなたは、土台なしで生きていないでしょうか? つまり、移り変わり、消えてしまう、壊れてしまうものを頼って生きてないでしょうか?
確かな土台にあなた自身を据えて、頼って生きていきませんか?
それは、いつ行ったら良いのでしょうか? 聖書は、「今」だと語ります。
「私たちは神とともに働く者として、あなたがたに懇願します。神の恵みをむだに受けないようにしてください。神は言われます。『わたしは、恵みの時にあなたに答え、救いの日にあなたを助けた。』確かに、今は恵みの時、今は救いの日です。」(第二コリント6:1〜2)
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