「物事の判断基準」
「一日一シャ〈謝と捨と洒と写〉2019/3/22(金)【1430】」
https://9001.teacup.com/sfk/bbs/19767 〈写真入り記事〉
物事の判断が迫られた時、誰もが簡単に決められるようなこともありますし、自分の好みで選んで良いものもありますが、選び方によっては、大きく方向が変わってしまったり、人間関係に影響を与えてしまうので、簡単に決められないことあります。
クリスチャンであるならば、毎日聖書を通読し、祈り、交わりをし、伝道している人ならば、神様の御心に敏感になれるので、過った判断をする率が減ります。
その上で大切なのは、愛による判断です。しかも、神の視点から見た愛です。
ある人が、自分がしたいことを主張したとします。親しい関係であれば、それを応援してあげたいと思うのが人情です。
人間の視点から見た愛です。
しかし、人間の視点から見た愛が、神の視点から見た愛と一致するとは限りません。
その違いがわかった時には、神の視点から見た愛を選ばなくてはいけません。
そうすると、余計なお世話と煙たがれたり、嫌がられたり、憎まれたり、避けられる可能性もあります。多くの人から理解されない可能性もあります。
しかし、信仰があるならば、それを乗り越えることが出来ます。
「人の心には多くの計画がある。しかし、主のはかりごとが成る。」(箴言19章21節)
一般に、民主主義は素晴らしい制度ですが、多数決が必ずしも正しい選択になるとは限りません。
人は罪人であり、自己中心であり、邪悪な性質を持っているからです。
聖書を読み、祈り、神との関係を深めること。神の御心を知り、謙遜にそれを受け止め、従う生き方が、物事の判断基準になるなら、間違った判断をすることが限りなく少なくなるはずです。
さらに、そのような人は、間違った判断をしたことに気づいたら、容易に方向転換が可能なはずです。
「みこころが天で行われるように、地でも行われますように」(マタイ6章10節)
感謝に溢れた一日をお過ごし下さい。
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