「苦しみというプレゼント」
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使徒パウロは、「あなたがたは、キリストのために、キリストを信じる信仰だけでなく、キリストのための苦しみをも賜ったのです。」(ピリピ1章29節)と語りました。
つまり、キリストのための苦しみをプレゼントされたと言うのです。
「わたしのために人々があなたがたをののしり、迫害し、ありもしないことで悪口を浴びせるとき、あなたがたは幸いです。」(マタイ5章11節)
それは「幸い」だと言うのです。
「もし子どもであるなら、相続人でもあります。私たちがキリストと、栄光をともに受けるために苦難をともにしているなら、私たちは神の相続人であり、キリストとの共同相続人であります。」(ローマ8章17節)
さらに、「神の相続人」、「キリストの共同相続人」である証拠だと聖書は語ります。
ここまで言われたら、苦難を受けることをマイナスと考える必要はありません。光栄なこととして、感謝して受けとめて下さい。
苦しみの中には、キリストのために受ける光栄なものもありますが、身から出た錆ゆえに味わう苦しみもあります。
そのような苦しみはどのように受け止めたら良いでしょうか?
「神は、どのような苦しみのときにも、私たちを慰めてくださいます。こうして、私たちも、自分自身が神から受ける慰めによって、どのような苦しみの中にいる人をも慰めることができるのです。それは、私たちにキリストの苦難があふれているように、慰めもまたキリストによってあふれているからです。もし私たちが苦しみに会うなら、それはあなたがたの慰めと救いのためです。」(I第二コリント1章4節〜6節)
苦しみに会うことで、
1、神の慰めを受けられる
2、受けた慰めによって、苦しんでいる人を慰められる
3、キリストの慰めが満ちて、慰めだけではなく、救い、つまり、いやしが与えられる
苦しみは、単に苦しむことで終わりません。
苦しみを甘んじて受けていきましょう。
いきなり喜べる人はまずいないと思います。
しかし、聖書は、「喜びなさい!」「喜び踊りなさい!」と教えます。
「喜びなさい。喜びおどりなさい。天ではあなたがたの報いは大きいから。あなたがたより前にいた預言者たちを、人々はそのように迫害したのです。」(マタイ5章12節)
最後に、苦しみは、「呪い」や「神の罰」でないことだけは確かです。
もちろん、罪ゆえの苦しみがあります。
それは悔い改めるためであり、神との関係の修復といやしのためです。
「わたしは、愛する者をしかったり、懲らしめたりする。だから、熱心になって、悔い改めなさい。」(ヨハネ黙示録3章19節)
苦しみをプレゼントして下さった神に栄光あれ!
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