6 (2) ところで,脅迫等の事実の存否やそれを左右する供述の信用性は事実認定の領ある。事実審裁判所は,証拠調べを直接に行い,供述態度が真摯であるかどうかという点を含めて,関連する事実や証拠等との関連で,かつ,十分な問題意識を持って供述の信用性の判断を丹念に行うであろうから,そこでの事実認定は,直接主義,口頭主義の観点からしても,第一次的に尊重されるべきであって,書面のみによる間接的な審理を行うだけの当審が,供述の信用性や事実認定の当否に介入することは基本的に慎重であるべきだろう。だが,根源的にいえば,刑事司法は,被疑者,被告人の人権保障の役割を果たす性格を有する。特に,最高裁判所は最終審であり,犯罪を犯していない被告人を救済する最後の砦である。そのことに照らせば,上告審たる当審といえども,本件において,原審までに現れている関係各証拠を所与の前提としてではあるが,これを比較検討し,Aの供述内容の信用性について,論理則,経験則等に照らして判断することは当然容認されることである。そして,その判断の結果,被告人の犯罪事実について合理的な疑いを超えた証明がなされていないとされるならば,重大な事実誤認として職権を発動することに躊躇すべきではないであろう。犯罪を犯した者を犯罪者としないことは疑いもなく不正義である。だが,犯罪を犯していない者を犯罪者とすることは,国家による人権侵害を惹起し,許され得ない不正義に当たる。強姦罪を犯したことにつき合理的な疑いを超えた証明がなされたとはいえない本件被告人については,「疑わしきは被告人の利益に」という刑事裁判の鉄則に戻るべきである。
裁判官千葉勝美の補足意見は,次のとおりである。
私は,被告人に強姦罪の成立を認めた第1審判決及びこれを維持した原判決には,判決に影響を及ぼすべき重大な事実誤認があるとする多数意見について,次の点を補足しておきたい。
1 刑事裁判における証拠評価等について
(1) 多数意見が述べるとおり,当審が行う原判決の事実認定の当否の審査は,事後審査によって,「判決に影響を及ぼすべき重大な事実の誤認がある」(刑事訴訟法411条3号)かどうかを判断するものであり,原判決の証拠の評価,それに基づく事実認定が論理則,経験則等に照らし不合理といえるかどうかの観点から行うべきである。そして,第1審,原審が被害者の供述を基に犯罪事実を認定している場合には,その供述の信用性を肯定した判断が,他の証拠やそれにより認められる客観的事実との整合性等,被害者の供述に関連する諸事情を適切に考察してされた合理的なものといえるかどうかがまず審査されることになる。
一般に,被害者の供述は,それがいわゆる狂言でない限り,被害体験に基づくものとして迫真性を有することが多いが,そのことから,常に,被害者の供述であるというだけで信用できるという先入観を持ったり,他方,被告人の弁解は,嫌疑を晴らしたいという心情からされるため,一般には疑わしいという先入観を持つことは,信用性の判断を誤るおそれがあり,この点も供述の信用性の評価に際しての留意事項であろう。
(2) ところで,刑事裁判では,第1審の審理において,直接主義の原則が採られ,その点からも,供述の信用性については,証人を直接に調べ,その際の証言態度等を見ている第1審の判断は重要で,基本的には尊重されるべきであり,控訴審もこの点については事後審としての立場からのチェックにとどまるべきものである。ましてや,上告審は,原則的に法律審であり,なおさらである。しかしながら,本件は,原審が事後審であることは了解しながらも被害者を再度証人尋問していることからもうかがわれるように,被害者の供述には不自然な点が多く,その信用性が大いに問題になるところである。それにもかかわらず,第1審はその供述の信用性を全面的に肯定し,これを基に強姦の犯罪事実を認め,原審も結局これを維持しているので,当審としては,上記のとおり,その認定,判断が当該供述の信用性に関する上記の諸事情を適切に考察した上でされた納得のいくものであるのか否か,すなわち,経験則等にそぐわない不合理な点がないかどうかを改めて吟味する必要がある。そして,そこに不合理な点が認められるのであれば,犯罪事実の証明については,刑事裁判の「疑わしきは被告人の利益に」という大原則に立ち返って,証明が十分でないとされることになる。
(3) いうまでもなく,刑事裁判の使命は,まず,証拠の証明力等を的確に評価し,これに基づき適正な事実認定を行うことであり,証拠等を評価した結果,犯罪事実を認定するのに不十分な場合には当然に無罪の判決をすべきである。その意味で,裁判官は,訴追者側の提出した証拠が有罪認定に十分なものか否かといった観点から,公正かつ冷静に証拠の吟味をすべきであって,社会的,一般的な経験則や論理則を用いる範囲を超えて,自己の独自の知見を働かせて,不十分,不完全な証拠を無理に分析し,つなぎ合わせ,推理や憶測を駆使してその不足分を補い,不合理な部分を繕うなどして証明力を自らが補完して,犯罪の成立を肯定する方向で犯罪事実の認定を行うべきものでないことは当然である。この点は,異論のないところであろうが,我々として,常に自戒する必要があるところであろう。
2 本件における被害者の供述の位置付けとその信用性について
(1) 本件は,強姦の成立を被告人が争っている事件であり,被告人が被害者に対して抗拒し難い程度の暴行脅迫を行ったのか否か,その結果姦淫がされたのか否かが争われている。その点でいわゆる全面否認の事件である。そして,本件では,犯罪構成要件事実の存在を裏付ける客観的で決定的な証拠は存在しない。そこで,被害者の供述の信用性が最大,唯一の決め手になるのであり,信用性の吟味は慎重の上にも慎重にされなければならない。
(2) 供述の信用性が大きな争点となる事件において,多くの場合,信用性の吟味に際しては,供述内容に一貫性があるか,反対尋問にも揺らいでいないか,証言態度が真摯なものであるか,内容に迫真性があるか,虚偽の供述をする合理的な動機があるか等が判断の要素となると指摘されている。これらの点は,当然,重要な判断要素であり,その吟味が有用であることは疑う余地はない。これは,証人尋問を直接行った第1審での判断が基本的に尊重されるべきであるとされるゆえんでもある。
しかしながら,これらは,供述者の証言態度等についてのものであるから,常に的確な判断ができるかは,刑事裁判のみならず,民事裁判においてもしばしば問題になるところであり,供述態度が真摯で供述内容に迫真性を有し,いかにも信用性が十分にありそうに見えても,書証等の客観的証拠や事実と照らして,そうでないことに気付かされることもあるのであって,慎重で冷静な検討が常に求められる事柄である。特に,本件のような,客観的で決定的な証拠が存在しない場合には,上記の観点から信用性を肯定し一気に有罪認定することには,常に危険性が伴うことに留意する必要がある。
(3) 本件においては,以下に詳述するように,証拠によって認められる様々な周辺の事実や本件犯行が行われたとされる現場の状況といった客観的に明らかであると思われる事実と被害者の供述内容が符合し矛盾がないのか,そこに疑問を差し挟む余地はないか,どの程度のどのような内容の疑問やそごが生じており,それを考慮した上でもなお,供述の信用性を認めることができるか,信用性を認めるとしても,どの程度の,あるいはどの部分について信用性を認めることができるか,等を慎重に,丁寧に,予断を挟まずに吟味する姿勢が求められるところである(例えば,最高裁平成19年(あ)第1785号同21年4月14日第三小法廷判決・刑集63巻4号331頁の那須裁判官の補足意見がこの点を指摘している。)。そして,当審においても,以上のような観点から,その信用性を認めそれに基づき犯罪事実を認定することが経験則等の観点からみて,自由心証主義の限界を逸脱しているといえるか否かを検討していくことになる。
以上の点をふまえて,以下,Aの供述の信用性等について検討する。
3 強姦の構成要件事実としての被害者の抗拒を著しく困難にする程度の暴行・脅迫の存否について
(1) この点の犯罪事実としては,平成18年12月27日午後7時10分頃,千葉市中央区の京成電鉄千葉中央駅前近くの歩道において,Aは,被告人から「ついてこないと殺すぞ。」と語気鋭くいわれたという脅迫行為があり,その後,コートの袖をつかんで引っ張られるという暴行がされ,さらに,同日午後7時25分頃,本件現場で,被告人から壁に押しつけられ,その左腕でAの右脚を持ち上げるといった暴行を受けたとしている。
(2) ところで,被告人とAとが出会った際の状況については,千葉中央駅前近くの歩道で,被告人が歩いていたAを見掛け,近くにカラオケ店が所在しているかを尋ね,待ち合わせしていた女性が来ないので困っている等の話し掛けをし,Aは,それにそれなりに応答していたのである。ところが,突然「ついてこないと殺すぞ。」と言われ,Aは,怖くて頭が真っ白になって抵抗できなくなったと供述している。しかし,被告人は,その際,殴る蹴る等の暴行はしておらず,刃物を突き付けるなどの行為もしていない。もちろん,強姦の場合,常にこのような強烈な有形力の行使がされるとは限らず,外形上さほどの有形力の行使が行われない場合であっても,被害女性が相手の言動により強い恐怖心を抱き抵抗できなくなったり,困惑し冷静な判断や避難行動を取れなくなるということは一般にあり得るところであり,例えば,相手が暴力団の組員であることを示し,抵抗すれば害悪を及ぼす等を小声でほのめかす等でも,抵抗し難い心理状態になることがあろうし,見ず知らずの男性から,語気強く脅迫的な言辞を発せられただけでも,その際の状況等から恐怖心に支配されるということもあり得よう。この点は,強姦罪の審理に当たり留意すべき点であって,一般的に言えば,相手と被害者とのそれまでの関係,被害者の置かれた立場,過去の暴行等により被害者がいわゆるトラウマ状態になっていたか否か,被害者の精神的肉体的な特性,相手の風貌や一連の言動の内容,その場の状況等を総合して考察すべきであり,その際に,被害者が女性である場合にはその女性の心理状態についての十分な理解が必要かつ前提となるところでもあろう。
(3) 本件も,このような観点から見ることになるが,次のような状況にあったことが認められる。まず,被告人が声を掛けた場所は,駅前のロータリー近くで,商店,飲食店等雑居ビルが密集する繁華街の歩道であり,この時間帯であれば,相当の人通りがあったものと予想される場所であり(第1審では,Aも,周りに人がちらほらいたと供述している。),そこから近くには,交番もあり,駅前ホテルの駐車場の係員も居て,Aは,そのことを知っていながら,これまで面識のなか0かった被告人の言葉を受けて,叫んだり,助けを呼ぶこともなく,逃げ出したりもしていない。Aが,このような状況の下で,それだけの言葉で助けを求められなくなるほどの恐怖心を抱いたということには疑問を抱かざるを得ない。Aは,18歳で若年ではあるが,当時,キャバレークラブで勤務しており,接客業務の経験もあって,それなりの社会経験を有しており,若年であることを過度に重視すべきではない。そもそも,被告人がAとの日常的な会話をしていたにもかかわらず,前触れもなく突然「ついてこないと殺すぞ。」と言い出したという点は,余りにも唐突の感じを免れない(被告人が,このような状況の下で,Aをたちどころに畏怖させることができると考えてこのような脅迫的な言動にいきなり出るということも,通常は考え難く,また,いわゆる「ダメもと」での言動とみても,不自然さは否定できない。)。さらに,そこから約80m離れた本件ビルまで,2人で歩いているところ,被告人は,最初にAの袖を引っ張ったことはあったが,その後は,本件ビルの階段のところまで終始Aの前を歩いており,Aは被告人の後ろを歩いているのであって,無理矢理Aを連れて行くような様子には見えず,被告人はまるでAが助けを呼んで逃げ出したりするようなことは念頭にないように見える。そもそも,被告人の供述によれば,同人は,JR千葉駅構内で納品の仕事を終えた後に,駅の駐車場にトラックを駐車したまま,帰社するまでの間の二,三十分程度の時間的余裕しかなかったのであり(被告人は,納品業者が頻繁に駐車する場所なので,仕事を終えたらすぐ車を出さなければならないが,二,三十分程度であれば,食事をしていたことにすれば弁解がとおるので,その時間を利用した旨を供述している。),この間に,合意による手淫なら別であるが,強姦といった大きな犯行までやり遂げるには時間が余りにも足りない気がする。
(4) さらに,本件ビルの地下と1,2階は食堂・店舗となっており,いわゆる赤提灯も多数飾られ,店の看板も設置され,人の出入りが予想される場所である。2人は,その外階段を登り,一旦屋上に出たが(この点は,Aは否定しているが,当日の実況見分の際,Aが自ら屋上で指示をしている。第1審でこの点を指摘されると,よく覚えていないと供述しているが,屋上に出たことは明らかである。),その後,引き返して,本件現場に戻っているところ,そこは踊り場となっており,蛍光灯がついていて人の顔が識別できるほど比較的明るくなっている場所である(なお,被告人は,屋上から本件現場に戻ったのは,屋上は暗く,明るい方がAが安心すると思って戻ったと供述している。)。屋上は寒かったとは推測されるが,暗い屋上を避け,このような人が通る階段の明るい踊り場をわざわざ選んだという被告人の行動は,強姦しようとしている者の行動にはそぐわないところがある。
また,Aが被告人と踊り場に居た際,階段下から制服姿の警備員が近づいてきたが,その足音を聞いた被告人は,直ちに逃げようとはせず,上着で下半身の露出部分を隠し,「この後,どこへ行きたい。」などと話し掛け,交際中の男女を装ってその場をやり過ごす対応をしており,これは,強姦最中の犯人の行為とはとても思えない。
(5) さらに,この警備員は,被告人やAから1m50cmのすぐ後ろを通ったが,Aは,警備員を涙目で見たというのみで,声を出すなどして積極的に助けを求める行動に出ていない。このようなビルの警備を担当する者に対してさえかすかな声も出せないほどの恐怖心にかられていたことを裏付けるような被告人の言動や本件現場の特別な状況等は全くうかがえない。
(6) 以上のような状況によれば,Aにおいて,被告人の上記の言葉により恐怖心で頭の中が真っ白になり,抗拒が著しく困難になるような状態になったとする供述は,女性の心理状態等を考慮しても,経験則からして容易には納得できないものであり,にわかに信用性を認めることはできず,これを基に,被告人が強姦のための暴行・脅迫を行ったとする認定は,自由心証主義を前提にしても容易に是認することができないところである。
(7) 他方,この点についての被告人の弁解は,「配達の仕事が終わり,配送用のトラックを駐車させたまま京成電鉄千葉中央駅の近くを歩いていると,好みのタイプであったAに出会った。カラオケの場所を聞くなどして話し掛けながら,Aとの会話から脈があるかも知れないと思い,3万円の現金をチラシに挟んで示し,これを対価に手淫してほしいと頼んだところ,了解したので,合意の上で,一緒に本件ビルの北側外階段屋上踊り場に行った。Aのコートのポケットにチラシを入れたが,それは3万円を挟んでいないダミーのチラシだった。被告人が,Aに下着を見せてほしいと頼むと,Aは,自分でスカートをめくって下着を見せてくれた。被告人がAに『やってくれる?』というと,Aは,右手で手淫行為をし,被告人は,Aの右手の掌に射精した。その後,被告人は,先に階段を降り,結局金銭の支払をしなかった。」というものであり,大筋において,上記のような当時の状況を無理なく説明することができ,客観的事実とも矛盾するところはなく,これをむげに排斥することはできない。
ログインしてコメントを確認・投稿する