今日と明日は休みですが、今朝は二度にわたって悪夢にうなされて、目覚めたら頭が痛かったりで何もしたくない気分だったのですが、昼頃には何とか持ち直したので、かねてから行こうと思っていた板橋区立郷土資料館で開催中の特別展「都営三田線開業50周年記念 いたばし大交通展」を見に行ってきました。
現地までは自転車で向かいましたが、昼食で途中にあるホワイト餃子高島平店に久々に立ち寄りました。
今回食べたのは、焼き餃子10個とご飯と豚汁の「10とん汁セット」です。餃子の数が5個や15個のもの、焼き餃子ではなく水餃子のセットやスープが異なるセットもあって色々選べます。
ここは蒸していないのか全面焼いてあるのが特徴で、自家製油一味という食べるラー油みたいなものをつけて食べるのも美味しいです。
また、ここなら大丈夫だろうと店の横の邪魔にならなそうな空いている場所に自転車を置いてしまったら、ここは駐車スペースだったようで、入った直後に「車が止められません」と苦情が聞こえたので慌てて移動。
しかも、車を止めようとした人があろうことか戸田恵梨香似の人と西野カナ系な人のいるグループでした(涙)。一言謝りましたがやっぱり何だか申し訳ないので、何か一品注文して「あちらのテーブルにお願いします」「お代は私持ちで」ということをドラマばりにやろうと思いました。ただ、本当にやったら私だと馬鹿にされるだけかと思うので、さすがにできませんでしたね。
食後は首都高下の道を移動して郷土資料館に向かい、入る前に「黒いセブンイレブン」に寄りました。黒いと言っても、客に卑猥な発言をした店長がいる店のように中の人が悪人とかそういう訳ではなく、景観条例などで派手な配色の看板が規制されている場所にある店のことです。この辺りは赤塚城址公園及び東京大仏があるということで、そういう条例が適用されるようです。
郷土資料館は赤塚城址公園の一角にあります。
今回の特別展は都営三田線の開業50周年記念で行われた展示で、江戸時代の街道から現在に至るまでの交通の変遷が紹介されていました。
このイベントの広告写真には都営三田線の開業当初の写真が使われており、行先が「志村」となっているのが目を引きます。この「志村駅」とは現在の高島平駅のことで、開業当初はこういう駅名でしたが、明らかに志村に存在しないのに何故かそういう駅名になってしまったせいで、行政や住民など各方面からの指摘や苦情が殺到したそうで、1年足らずで現行の高島平に改名されています。
ちなみに高島平団地は開業時にはまだ存在せず、辺り一面が広大な更地だったようです。
特別展会場内は撮影禁止ですが、入口にある「駱駝図」という錦絵だけが唯一撮影可能でした。これは、ペルシャから来日して江戸で見世物や将軍に献上されるために中山道を移動してきたラクダが板橋宿平尾脇本陣豊田家に立ち寄ったときの様子を描いたものらしいです。
1階は中山道とそこから分岐して加賀へと向かう北国街道に関する展示で、当時の地図が描かれた屏風などがありました。
中山道の板橋宿に隣接して加賀藩の前田家下屋敷があり、その跡は今でも「加賀」という町名や「金沢小学校」の校名として残るなど、加賀との結びつきが強い場所であることを改めて実感しました。
このほか、参勤交代行列で使われた梅鉢の紋が入った陣笠、馬や籠への乗り降りで掲げられた下乗札、下馬札なども見ることができました。
そして1階の最後には、東武8000系の手製の模型、7800系の試験塗装車各種の模型などがありました。
そして2階は鉄道開業以降の展示で、現在の東武東上線の前身である東上鉄道の計画図が展示されていました。東上線の路線名が東京と上州を結ぶという計画に由来しているのは有名ですが、寄居からは現在の八高線などとほぼ同じルートを北上して藤岡、高崎、前橋などを経由して渋川までの路線が申請されていたそうです。さらに北上して最終的には長岡を目指す計画だったようですが、結局寄居までしか実現しませんでした。
また、現在の八高線は昭和に入ってから戦争が迫っていたために軍事目的の貨物のバイパス線として作られた側面が大きいですが、明治時代の計画では今とはだいぶルートが異なっていたようで、八王子を出て最初のうちは現在の八高線とほぼ同じルートだけど、小坂(川越市の北部)で東上鉄道と交差し、熊谷、太田を経由して桐生に至るという路線が計画されていたようです。
太田といえば現在のスバルの前身である中島飛行機があった場所だし、やはり通勤などの生活路線というよりは軍需輸送的な意味合いの強い路線のようですね。
2階では東武鉄道と東京都交通局の乗車券類が色々と展示されていたほか、昔懐かしい写真などが多数ありました。
ここで見ていたら近くに男同伴の整形前のスザンヌみたいな人がいて、何故か2人でやたらとマニアックな話をしまくっていて、思わず聞き耳を立ててしまいました。話を聞いていると、どうやらうちの近くの住民のようです。
展示品の解説の中でも都営三田線が計画当初は東武東上線への乗り入れ予定だったことは書かれていたのですが、都営三田線の6000形が東武の直通に対応したものであることなどを知っているものだから、思わず池上彰の決まり文句で突っ込みたくなったのは言うまでもありません。
整形前のスザンヌみたいな人がおっしゃる通り都営6000形は東武東上線への直通を意識したもので、運転席周りの車体形状などは東武8000系に極力近づけたものだったし、東急目黒線直通開始まで使われていたATSも東武と共通化されていました。また、東急池上線経由で田園都市線への直通運転も計画されていましたが、こちらも計画倒れに終わりました。
東武は三田線経由では都心に出るのに遠回りだからと直通相手を有楽町線に変更し、東急もやはり遠回りなので新玉川線を建設して半蔵門線に乗り入れることにしたので、わざわざ都営が歩み寄って車両や設備を両社への乗り入れ対応にしたのに、紆余曲折あって2000年に東急目黒線への直通運転が開始されるまで他社への乗り入れが実現しなかったのですよね。
また、中山道を北上して志村橋まで行っていた都電志村線の写真などもあって、なかなか貴重な資料が多かったです。
交通展を見終えた後は常設展の茅葺き民家などを見学。
この家は江戸時代末期〜明治時代初期の建築と推定される旧田中家住宅です。この時代の農家の典型的な造りだそうですが、室内は天井が非常に高く現在の狭小な住宅にはない開放感がいいですね。
庭には、名称が分かりませんが赤い花がいくつか咲いていたほか、柿も沢山実がなっていました。
そして、資料館入口には高島秋帆による砲術訓練が徳丸ヶ原で行われたときの大砲が展示されていました。高島平の地名は、この砲術訓練が行われた場所という歴史に由来します。
資料館前の赤塚溜池公園の池は横に滝のようなものがありますが、今日は水が出ていませんでした。
帰りは来た道を戻りましたが、新大宮バイパスの陸橋を越えたところで猫を2匹発見。撮ることはできましたが、これ以上近づいたら逃げてしまいました。
その後は高島平団地の中を抜けて帰りましたが、団地内の商店街は意外と賑わっていました。近年は住民の高齢化が課題となっているし、閉店してしまった店も多いのですが、昭和の面影を感じる昔ながらの商店街もきちんと健在のようですね。
今回の日記、その他写真は、こちらにもアップしております。
https://blogs.yahoo.co.jp/silkroad_vx/41138033.html
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