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2018年09月20日04:45

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【再掲】高麗王若光と彼岸花の謎(2009年9月15日)

 昨日(14日)は、天気が非常によかったので、早くも見ごろを迎える彼岸花を撮ろうと埼玉県・日高市の「巾着田」に行ってきた。ということで、今日(15日)は予定通り疲れて一日ダウン。しかし以前のような激しい気分の落ち込みは少なく、ただ横になって過した。

ということで、昨日の写真。
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西武秩父線高麗駅下車。そう、ここは朝鮮半島からの渡来人の里である。
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のどかな道の脇にも彼岸花が・・・。
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高麗川を渡るといよいよ巾着田だ。
高麗川が巾着袋のように湾曲した中に囲まれた平地が「巾着田」である。唐と新羅の同盟軍に滅ぼされた高句麗から日本に亡命してきた約1799人の人々が716年、この地に移され、その人々によって開墾された。近くにはその指導者・高麗王若光を祀った「高麗神社」や若光の墓などの遺跡も残るが、体力がなくて行けなかった。
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彼岸花は、まさに見ごろ。夢中でシャッターを切り続ける。
昼過ぎまで撮影し、ふらふらになって帰宅する。

ところで、今日(15日)になってGoogleで検索していて奇妙なことに気づいた。

関東地方にはもう一つ彼岸花の名所がある。神奈川県伊勢原市の「日向薬師」である。この日向薬師の近くに「白鬚神社」という小さな社があり、何と「高麗王若光」が祭神として祭られているというのだ。ひょっとして、彼岸花と高句麗系渡来人は何らかの関係があるのではないか、という疑問がわいた。ちなみに、巾着田の公式HPには次のように書かれている。
http://www.kinchakuda.com/faq/index.htm#l2
>歴史的には昭和40年代後半に、巾着田の用地を当時の日高町が取得し、利用について議論される中で、平成元年頃に草薮であった河川敷地の草刈りをし始めると、そこに生息していた曼珠沙華の姿が見られるようになりました。群生の規模が予想外に大きく、その美しさを報道機関等が紹介するようになると、多くの方々の関心を引くようになりました。
巾着田周辺に曼珠沙華群生地が形成された理由についてですが、巾着田は高麗川の蛇行により長い年月をかけて巾着の姿を形づくり、その内側に耕地が形成されましたが、河川の増水時等に上流から流れてきた物の中に混じっていた球根が、漂着し根付いたと考えるのが妥当でしょう。

果たしてそうだろうか?

実は関東に高麗王若光を祀った有名な神社がまだある。神奈川県大磯町高麗の高来神社である。若光が武蔵の高麗郷に移される前に開墾していた土地のようである。この近辺に彼岸花の群生地はないか、念のため調べて見た。

あった。
http://komakin.main.jp/koumoku-page1/hiroba.html
ここまでくると、偶然と考える方が不自然である。彼岸花は高句麗系の渡来人が持ち込み、何らかの目的のために植えたものではないのか?

ちなみに、彼岸花は日本古来の植物ではなく、古い時代に大陸からもたらされたものだとされている。


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