三凛です。
愛情表現の形は本当に人それぞれだよね。
親父を憎んでいた頃の僕は
気持ちをわかってくれること
共感してくれること
甘やかせてくれること
お金をたくさん出してくれること
褒めてくれること
そして、やりたいことを全部自由にさせてくれることが親としての正しい愛情表現だと思っていた。
だから、そういうことをしてくれない親父からは十分に愛されていなかったと感じていたんだ。
自分が求めている表現をしてくれないということは愛されていないってことだと頑なに解釈していたんだね。
そうして「僕は十分に愛されていない」と認識し、拗ねたまま大人になった笑
でも、心のことをやっているとある日
人それぞれ愛の表現方法も違えば、その表現のうまい下手もあるってことに気づいたんだ。
それでわかったことは、僕は確実に親父から愛されていたということだった。
当初僕が望んでいた形ではなかったから、僕からしたら「愛されていない」と受け取っていたんだけど、
彼には彼の表現のスタイルがあったんだ。
これって親子関係の話だけじゃなくて、パートナーシップやその他の人間関係でも同じだよね。
「気持ちをわかってあげることが愛している証拠」というルールを持つ人もいれば
「きついことでも本音で話し合うことが愛している証拠」というルールを持つ人もいれば
「やりたいことを自由にできるようにお金を出してあげることが愛している証拠」というルールを持つ人もいれば
「悩んでいる時に解決法を考え出してあげることが愛している証拠」というルールを持つ人もいる。
大抵、「私は愛されていない」のストーリーは、
相手のルールと自分のルールがかけ離れているときに発動する。(というか、自分が無意識で発動させてるんだけど)
そんな時は、「愛されていない」と自動的に解釈する前に
自分の「愛されている・愛している条件」と相手の「愛されている・愛している条件」にはギャップがあるってことなのかな?と考えてみよう。
実は今まで愛されていたということに気づくと、
いまも誰かから愛されていると気づく機会が増えるよ〜!
あなたの大成幸をお祈りしています。
https://ameblo.jp/satoshisunada/entry-12399825369.html
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