「いのちの重さ、いのちより大切なもの」
「一日一シャ〈謝と捨と洒と写〉2018/7/27(金)【1193】」
https://9001.teacup.com/sfk/bbs/19051 (写真入り記事)
オウム関連事件の死刑囚の刑の執行が行われたことをニュースで知った。私には、とても重いニュースでした。
2009年に裁判員制度がはじまり、その施行前に、あるテレビ局からコメンテーターとしてオファーがあった。
法律を調べ、自分なりの意見を整理した。
死刑は神が定めた刑であり、聖書が教える刑である。「目には目を、歯には歯を、命には命をもって償わなければならない」と聖書は教える。
故に、故意に人のいのちを奪い、殺めた者への死刑は当然のことである。
聖書が、イエス様を信じる者に罪の赦しが与えられることを教えるのは、イエス様が罪人の身代わりに十字架で処刑されたからだ。
死刑は、いのちが大切であり、そのいのちを守るために、人のいのちに触れてはいけないから執行されるのである。
しかし、冤罪と思われる事案があり、これに関しては遺憾である。そういうことのないように司法は徹底して証拠に基づいて調べ、判決を下さなくてはならない。
聖書は、故意ではない殺人者に関しては、「逃れの町」を設け、復讐者から守られるように定められた。
「無期懲役」と「死刑」の間に「終身刑」を設けるべきである。
麻原の死刑は、犯した罪の重さを考えたら当然ですが、麻原からマインドコントロールされて、盲従して犯罪を犯した弟子たちの死刑に関しては、同格と考えて、同日に執行されるのが良かったのかどうかは考えるところです。
個人的には、もし、恩赦なしの終身刑があるとしたら、生きて罪を償い、事件の真相を語り、全貌が明らかになり、カルトの暴挙やテロが繰り返されないように教訓としても良かったと感じます。
コメンテーターに関しては、結論からいうと、キリスト教の大会の音楽奉仕を先に引き受けていたため、テレビ番組の出演はお断りしましたが、テレビに出る機会が与えられて、そこで話すことには大きな責任が伴いますので、自分の中で整理する機会となりました。
いのちは大切です。それは他人のいのちだけではなく、自分自身のいのちも含まれます。いのちは神のものです。
しかし、そのいのちよりも大切なものがあります。
詩人であり、画家の星野富広氏は、次のような詩を書いた。
「いのちが一番大切だと思っていたころ、生きるのが苦しかった。いのちより大切なものがあると知った日、生きているのが嬉しかった」
星野さんに、「そのいのちよりも大切なものとは何ですか?」と聞くと、「それは、永遠のいのちです」と答えるそうです。
死刑を考えると、いのちの大切さを考えることになり、この世にいのち以上のものはないと結論付けたくなりますが、このいのちはいつか終わります。
そうすると、生きるのが苦しくなるのは当然です。
しかし、イエス様を信じる者には、肉体のいのちのほかに、永遠を天国で生きられる永遠のいのちが与えられます。
「神はそのひとり子(イエスキリスト)を賜ったほどに世(私たち)を愛してくださった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠のいのちを得るためである」(ヨハネの福音書 3:16)
このいのちを頂いて、生かされている今日を感謝し生きてまいりましょう。
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