「生きることに疲れたら」
https://9001.teacup.com/sfk/bbs/19032 (写真入り記事)
最近、私の周囲で、生きることに疲れている人が両手で数え切れないほどいます。
軽いうつ状態の人もいれば、対人恐怖を感じるレベルから、引きこもりになったり、「死にたい!」と思いつめている人までいます。
メンタルが強い人を含めて、弱肉強食の勝者の中には、元気な人もたくさんいますが、元気を奪ってしまう要素はいくらでもあります。
過労、経済問題、人間関係、病気、いじめなど。しかし、一番大きな原因は、人と自分を比較することが生じる劣等感、罪責感、焦燥感、無力感などではないかと思います。
人と自分を比較することは悪くはありません。
私が車やバイクを買う時には、何台もの中から比較検討した結果購入します。
ただ安ければいいとか、かっこよければいいとか、性能がよければいいなど、一つの項目だけで選ぶことはまずありません。トータルで考えて、一番自分の今の環境にふさわしく、かつ、ほしいものを選びます。
同じように、人と自分を比較する時に、トータルで考えたとしたら、素直に自分に足りない点があることを認めながらも、自分の強味、長所、持ち味等を評価したとしたら、落ち込む必要はありません。
聖書は、「私たちは神の作品であって、良い行ないをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。」(エペソ2:10)と語ります。
地球には、現在74億8431万人が住んでいます。これらすべての人がユニークで、オンリー1の神の作品なのです。
比較した時に、甲乙つけがたい素晴らしさがそれぞれにあるのです。
人と自分を比較して、元気がなくなってしまうとしたら、何かが間違っているのです。
聖書は、1ページ目を開いたところから、
�/世和減澆垢�
�⊃佑録世忙�せて創造された
と語ります。
この点を知っているかどうか、認めているかどうかで、その後が変わってくるのではないかと思います。
より単純で、より劣った生物から進化したと考えるのか、神が作品として、あなたがあなたであるように創造されたと考えるのかで、その価値がまるっきり変わってしまいます。
人が神を知らず、神から離れている状態を「罪」と呼びます。わかりやすく言えば「的外れ」の状態です。
私たち人間は、生まれつき罪人(つみびと)としてこの世に誕生したのです。
罪を犯し、罪を犯したから罪人なのではありません。罪人だから罪を犯すのです。
自分より大きな罪を犯した人を許せず、人より自分がましだと思えば「私は正しい!」と考えたくなるものです。
しかし、神の前では、同じように的外れな存在であり、罪人なのです。
神の前では、「似たり寄ったり」「五分五分」「目くそ鼻くそ」「五十歩百歩」「どんぐりの背比べ」「どっちもどっち」「どっこいどっこい」です。
神から的外れな状態にあることに敏感な人は、深く深刻に悩むので生きるのがつらくなります。しかし、鈍感な人は、そう大きくは悩んでいません。
しかし、生きるのが楽しくて仕方がない。つらなくないという人はいるでしょうか。
ゴスペルソングの中に、「生きることに」という歌があります。
♪生きることに 疲れたら イエス様の扉を たたいてごらんたとえ今 つらくても 愛のイエス様に ゆだねて行こう主の愛が 今臨み すべては輝き 喜びが こみあげるイエスに栄光あれ♪
生きることに疲れた人は、最も大切なことに気がついた人だと思います。
イエス様の扉をたたき、神に立ち返るならば、つらさが喜びと平安に変わり、不幸だと思っていたのに、世界一幸せであったことに気がつくはずです。
生きることに疲れ、悩んでいる人がいなくならない限り、私には使命があります。
イエス様はあなたを招いています。
「すべて、疲れた人、重荷を負っている人は、わたしのところに来なさい。わたしがあなたがたを休ませてあげます。」(マタイ11:28)
ログインしてコメントを確認・投稿する