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2018年03月09日20:16

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宗教のここが好きここが嫌い

宗教のここが好き
私益に直接結びつかないようなことでも、他人のため親切な人が多い。
世界連邦などという、凡人から見れば馬鹿馬鹿しい運動をいろいろな宗教の人が一生懸命やっている。世界連邦を通じて、大嫌いだった宗教が、少しは好きになった。
科学万能主義に対する歯止めになる。遺伝子組替えなど、私は大反対だが、推進派に勝つ自信がない。宗教家は生命倫理についてはさすが敏感だ。
科学のいきすぎを制するには、宗教も必要だ。

宗教のここが嫌い
「ヒトラーが毎日多くの人を虐殺しつつあるならば、ヒトラーを、どんな手段を用いても暗殺すべきだ・・・・この考えをアとする。
というのが、私の政治信念である。

私にとって、優しさとは、「どんなときにも、ほほえんで全てを許す」などというものではない。母熊が子熊を守るために命がけで戦う、これこそが、私が思う優しさである。

しかるに、ほとんどの宗教はアのような考えを否定する。
「人間は完璧でない。人間が勝手な判断して、他人を殺せば、神の心に反したことになる。たとえ悪い人でも殺すな。説得せよ。対話せよ。神が最後の審判で何とかする。・・この考えをイとする

「この世は因果応報、悪いことして得した気になっても、次は不幸に生まれ変わる。・・これをウとする

イやウを信じてヒトラーみたいなのを、放置していたら、神も仏もなく、そういうことが起こらなかったらどう責任とってくれるんだ。

さらに、ウを論理的に考えれば、今罪もないのに通り魔に殺された子供は、前世で悪いことをした報いということになりはしないか・・・これをエとする

遺族の前でそういってみろ。
エを否定するなら、因果応報の原則は破れるぞ。

イやウのようなことがあれば、やりきれない、ひどいニュースを聞いても、理不尽なことが起きても、少しは心が休まる。イやウのようになってほしいとも思う。
しかし、イやウは、巨悪をのさばらせる理論である。悪と戦い、社会を変革するエネルギーをそぐものである。

神がいる証明はなされていない。いないという証明もない。そこで、神がいないときに備えて私はアの道を選ぶ。
神がいるならば、私は罰されるが、私が救いたかったような人は救われるから満足だ。
また、神がいなかったならば、ちゃんとアのように考えておいて良かったということになる。
よって、いずれの場合もアにする。
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