「自分の居場所」
(一日一シャ〈謝と捨と洒と写〉2018/1/ 24(水)【1012】)
http://9001.teacup.com/sfk/bbs/18433 (写真入り記事)
三匹のミドリガメを1つの水槽に入れて飼っています。
岩場が1つしかないので、甲羅干しのために取り合っています。
「写真」のように、相手のカメが居るのに岩場だと勘違いしてそこに居座ってしまうこともあります。
カメには何の悩みもいように見えます。その姿を見るといやされます。
しかし人間は悩みに満ちています違います。
悩みがある理由は、賢いからであり、生きている証拠です。
私たちはカメのように甲羅干しはしませんが、別の生存競争をしています。
この社会は、競争原理によって成り立っています。
衣食住を得るための戦い。地位・名声・富を得るための戦い。自己実現のための戦い。
生きている限り果てしのない戦いが続きます。
しかし、それは先祖アダムとエバの罪の結果、そのような世界になってしまったのです。
教会は、神に召された者で構成されるキリストの体です。
教会はピラミッド組織ではなく、体なのです。
ピラミッド組織ならば、上下関係があり、そこに優劣が発生します。そして、偉くなりたい人同士がその上の席を争います。
しかし、体ならば、1人1人がかけがえのない存在なので、自分の居場所が確定しています。お互いは補完関係であり、競争相手ではありません。優劣はなく、違いがあるだけです。
私たち人間の居場所は、神の中にあるのです。私たちは、キリストのからだの中に本当の居場所があるのです。
それは、キリスト教に入信することとは本質的に違います。
聖書は神からの啓示です。その神からの啓示に応答することが、あなた自身の居場所を知り、居場所を持つことになるのです。
「イエスは彼に言われた。『わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。』」(ヨハネ14章6節)
イエス様を信じ、神との平和を得て、キリストのからだの一部分となるのです。これが、本来の私たち人間の姿なのです。
「あなたがたのからだはキリストのからだの一部であることを、知らないのですか。」(第一コリント6章15節)
「あなたがたはキリストのからだであって、ひとりひとりは各器官なのです。」(コリント第一12章27節)
「教会はキリストのからだであり、いっさいのものをいっさいのものによって満たす方の満ちておられるところです。」(エペソ1章23節)
「私たちはキリストのからだの部分だからです。」(エペソ5章30節)
この後も、ステキな時間をお過ごし下さい。
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