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2018年01月06日09:06

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NPB監督通算1181勝の「闘将」よ永遠に、か。

“闘将”星野仙一さんが死去、悲しみの声広がる
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=84&from=diary&id=4932341
星野仙一、癌に屈す、ですか。岡山県は児島郡福田町(現・倉敷市)の生まれで倉敷商業高校から明治大学に進み、昭和43年オフのドラフトで中日ドラゴンズから1位指名を受け入団、以来「燃える男」、「炎のエース右腕」として数多くの名勝負を繰り広げ、特に巨人には通算35勝31敗、後に監督を務める阪神にも36勝を挙げるなどそれぞれのファンには「目の敵」と見られた存在となった感じがありましたね。
選手生活は実働14シーズン、500試合に登板して146勝121敗防御率3.60にとどまり、「太く短く」な印象のキャリアとなりましたが、引退後に古巣の中日で監督となって「燃える男」ぶりを発揮、就任初年度から退場を記録するなど印象深い采配を見せ、リーグ優勝を中日で2回(昭和63年、平成11年)、阪神で1回(平成15年)記録、「健康上の理由」で阪神タイガースの監督を退いてから球団のシニアディレクターとなり、日テレのニュース番組「NEWS ZERO」のコメンテーターを経て、平成20年の北京五輪の日本代表監督に抜擢されましたが本選で4位に終わり、特に上位3チームには5戦全敗で結果を出せず、翌年に行われる第2回WBC日本代表監督就任辞退を余儀無くされる事態となったようですね。
その後、平成23年から東北楽天ゴールデンイーグルスの監督として現場に復帰、平成25年に24勝無敗の活躍を見せた田中将大を擁して球団、自身それぞれ初の日本一を達成、17年のNPB監督のキャリアで2277試合、1181勝1043敗を挙げ、昨年にエキスパート表彰でNPBの野球殿堂入りを果たしました。
とは言え、特に監督業に就いてからは周囲や自身の健康上の諸問題とも闘いながら職務を続けてきた印象が強く、妻の重病から一度中日の監督を辞任、復帰後平成9年にその妻に先立たれ、自身も持病の高血圧から阪神監督を辞任してシニアディレクターとなるなど、身を削りながら監督などを務めていた印象がありましたね。楽天監督への就任が報じられた際、北京五輪監督としての失敗に加えて健康上の問題を抱えて東北は仙台の楽天に赴くことで、この人を監督にして大丈夫なのかと感じたほどでしたが、就任初年度に発生した東日本大震災被災地のチームとして、その復興を支える原動力として3シーズン目に日本一を果たしたことで、名将としての印象を高めたと思いますね。
その楽天監督も健康上の問題を抱えながら務め、昨年の野球殿堂選出会見ではいくらか痩せた印象がありましたが、死因が膵臓癌と報じられると、その頃から侵されていたのかなと感じてしまいますね。
70歳とはずいぶん早い最期となった感じがありますが、現役時代同様、その生涯自体が「太く短く」だったのではと思います。
ご冥福をお祈りいたします。合掌。
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