「一日一シャ〈謝と捨と洒と写〉【887】2017/9/20(水)罪の自覚と祝福」
http://9001.teacup.com/sfk/bbs/18061 (写真入り記事)
聖書に登場する使徒パウロは、恵まれた環境に生まれ育ち、超エリートコースを歩み、キリスト教迫害者となった。
しかし、神と出会い、回心して、クリスチャンとなり、誰よりも伝道する人に変えられた。
しかし、なぜか、パウロの罪意識は、日に日に深まった。
最初は、伝道者仲間の間で私は足りない存在であると自覚しました。
次に、クリスチャンの中で私は罪深い存在だと自覚しました。
晩年には、全人類の中で一番罪深いと自覚し、自身を「罪人(つみびと)の頭(かしら)」と呼んだ。
パウロは、クリスチャンになり、伝道者になり、悪い人間に変わったのか?
そうではなく、罪の本質を知り、自分の罪深さを知るようになったのだ。
「罪の増し加わるところには、恵みも満ちあふれました。」(ローマ5章20節)
これは、悪い犯罪を犯した人に、より大きな赦しが与えられるとも言えるが、パウロ自身のように、罪の自覚が増し加わるところに、恵みや、愛と赦しの意識が増し加わると言うことです。
神様に目を向ける度に、本質的な意味での罪深さ、自己中心性に心を痛めます。
しかし、同時に、その私が赦され、愛され、神の子とされているとわかるので、「私は世界一幸せだ!」と叫びたくなることがあります。
そんな私でも、本質的な罪だけではなく、実際的な罪を自覚させられることがある。交通違反です。
「毎日運転しているのだから、ゴールド免許は夢のまた夢」と言い訳したくなることがある。
無事故無違反を貫いていたのに、黄色い車線を踏んでしまって青キップを切られたり、軽微な交通違反をしてしまうことがある。
腹立たしくなり、心が痛くなり、悔いても悔いきれません。
人は、失敗を通して、練られ、神に引き戻され、成長していけるのかも知れません。
本質的な罪を知り、パウロのように、「罪人の頭です」と言う意識と共に、失敗を通して謙遜になり、人を裁かなくなり、人に優しくなれたらいいなーと思います。
私の人生で起こるすべての体験に感謝したいと思います。
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