■被災基地で「航空祭」復活=ブルーインパルスも飛行―宮城
(時事通信社 - 08月27日 11:30)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=4&from=diary&id=4736202
少しずつ前に進んでいる実感の持てるニュース。
震災の日に小学生だった娘が今では高校生だ、アルバイトも始めた。
震災の日に一番遠方から通学していたことが理由で、娘は通学先の建物に取り残される形で先生方と一緒にお泊まりになっていた。
当時の娘の通学先は自宅からバスと電車で通う場所にあったのだが、震災の影響でバスも電車も止まってしまっていて親の私も祖父母も通学先まで娘のお迎えに辿り着けなかったのだ。
挙げ句、娘の祖父母は止せば良いのに(孫のお迎えの為に!)と震災の激しさにテンパったまま自家用車を出して鶴見駅付近で身動きが取れなくなり悲鳴混じりに私に電話を寄越し
「もしもし貴之ちゃん?、お父さんの車が渋滞で動けなくなっちゃって、娘ちゃんの学校に行かれそうになくってね…」
と言い出して私の手間を増やし慌てん坊の素顔を晒してもいた。
その電話口で(なんって恥ずかしい真似をしてくれてるんだこの馬鹿夫婦は?!、震災時の行動規範は何処なんだ!!)とさえ口にも出さずに
「ああ…、分かったから、学校にはもう連絡ついてるから、先生が一晩中娘と居てくれるって、明日電車が動いたら俺が迎えに行くから…」
と私は(鶴見区で車中に死に体二体発見!)とさえ言いもしないで黙ったまま両親を見放し突き放していた。
それから数日後には当時に私の住んでいたマンションの上階から何時も通りにヒステリー女の喚き声が階下の私の暮らす部屋まで降り注ぎ始め、そのヒステリー女の喚き声は私が引っ越しをするまで階上フロアから降り注ぎ続けた(引っ越しに際しては階上のヒステリー女のことはマンションの所有社にチクって退散した)。
震災の時には本当に沢山の色んなことがあったなぁ…。
その当時の娘の通学先は大病院に隣接していて、食糧の備蓄から最先端の医療機器に資材まで全てに心配の無い状況であり、娘の通学先と大病院の間には交番もあり歌謡曲にも歌われた有名繁華街もあった、そして娘の通学先の先生方は意識高い専門性を兼ね備えたベテラン勢が揃った所だったのだ。
うちの両親、何で自家用車出しちゃったかなぁ…?。
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