スピリチュアルの世界では精神的な成長や他人の幸せを大切にする優しい人が多いと思うのですが、中には力はあるそうですが、他の人を見下したり、異なる考え方をする人に対して批判的・攻撃的な人もいます。
失礼ながら、「強い力があるとしても、人間的に尊敬できない…どうしてこんなことを言うのだろう。」「神との繋がりがあると言っているけど、本当に神との繋がりがある人?」と疑問に思ってしまいます;
そんな時に、スイフキイからあったメッセージです↓
*〇.*゜(^^)
他の人を見下したり、異なる考え方をする人に対して批判的・攻撃的な人たちは、力への執着による強い念と、それに同調して引き寄せられた霊的な存在やエネルギーで力を生み出している人なんだと思うよ。
力に依存し、「自分の価値=力」のように思っているから、自分の力・考えを否定されること(=その人にとっては「自分の価値が認められないこと」)への極度の恐れを持っている。
心理的にその恐れから逃れるために「絶対に自分は正しい」と絶対的な自信・根拠を作り上げようとする。
その恐れと絶対的な自信が強い念を作り出し、高い能力になる場合もあるけれど、それは諸刃の剣だよ。
力を求めること自体は悪いことではないよ。自分の可能性を広げようとするのは素晴らしいこと(^^)
でもね、苦しさが伴う力の追求、力に執着することは危険だよ。
例えば、修行ってあるじゃない。それに前向きな気持ちで取り組めたり、心地好さを感じるのであれば良いよ。
でも、苦しさや辛さを感じる場合は、
「これだけ苦しい思いをしたんだから、能力が身に付くよね!?」
と心に余裕を失って、力を得ることに執着したり、身に付かないと、
「どうして身に付かないの!?まだ足りないの!?」
と自分を追い込むことになりやすい。
そうして心に余裕を失い、力に餓えると、苦しい在り方に囚われた霊、力に執着する霊に波長が合って憑かれやすくなる。
それで能力が身に付く場合もあるけれど、苦労して身につけたからにはそれだけの価値があるものだと信じたくなる。
何かがおかしくても自分の認識を歪めてしまったり、「この修行で得たものが正しい」「修行しないで得た力に価値はない」というような考え方に陥ることになりやすい。
自ら判断力を鈍らせることになるから、ネガティブな霊にとっては都合が良い。
ネガティブな霊にとっては自分を神やそれに近い存在と信じてもらえるのは気分が良いし、信じられることで力を発揮し、自分の力を感じられることが心地好い。
前向きで苦しさなく取り組めている場合は、心に余裕があるから、結果がすぐに出なくても焦らないし、良くない霊につけ入られたりする心配もない。
だから、ポジティブな感情であることは大事(^^)
執着で得たものは、不自然な在り方によってようやく得られたものだから、自然な在り方を自分に許可できず、保つことにエネルギーを消耗する。苦しい在り方で、何らかの犠牲を払うことになる。
苦しい思いをする分、力と、自分の力を感じることに餓えて、「力が全て」になってしまう。
苦しく、消耗していく循環だよ。
↓こういうことに陥りやすい。
・力を失うことへの恐れから、変わること、他の考え方を取り入れることを嫌がる。
自分に力があることを実感できそうな人にしか関わろうとしない。
・自分に力があると感じるために、不安を煽って人を依存させる。
・中には、自分は神に近い特別な存在だという思いや、力を追求するためには人間的な情を邪魔なものだという考えにとりつかれて、人間的な情・人間らしさを排斥していく人もいる。
人間的な情・人間らしさを排斥すると、いわゆる動物霊や低級霊といったものに支配されやすくなる。
こういう人たちは、感情・感覚を分かち合うことをしにくくなっているから、話したことに対して内容とずれた返事が来たり、感情面の反応が感じられなかったりして、話していると違和感を感じやすい。
力に執着して苦しい思いをして強い能力を持つことは、本当の幸せには遠い在り方。視野が狭まり、自ら魂の成長から遠ざかっていってしまう。
この世は、能力者としての力の強さより、「人間としての」幸せ・成長が大切なんだよ。そういう場なのだから、そこを疎かにしないで欲しい。
これは、霊的な能力だけでなく、全ての能力・力について言えることだね。
他の在り方も受け入れられてこそ、成長や幸せがあるもの。
「あれはダメ」「これもくだらない」「〜以外に価値はない!」じゃ、随分心に余裕がないし、はなから批判するのは学ぶ姿勢に欠ける。成長や幸せにはほど遠い在り方だよね。
そうして「正すこと」が自分の使命と思っているケースもあるかもしれないけれど、宇宙は全ての在り方を受け入れる。自由でルールはないよ(^^)
だから、力に執着することも「いけない」というわけではない。
ただ、魂の成長の機会を失ったり、力を求めて大切なもの・得られるはずの幸せを犠牲にすることになる。魂の成長と逆方向に向かったら魂の課題(いわゆる「カルマ」)を増やすことになるけど、それでもいいのかな?ということ。
後悔するんじゃないかなぁ…本当にそれで良いのかなって、心配なんだよ(^^;)
※カルマについてはこちら↓
[イラナザ] 「過去生からのカルマ」は罰のようなものではなく、自ら必要として決めた「課題」
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1960339655&owner_id=65478440
本当の力は、不自然な力づくのやり方や犠牲を払って身につけるものではなく、自然な在り方で引き出されるもの。
苦しさ・辛さがなく、のびのびとした、ポジティブな感情でいられること=自然な在り方 なんだよ(^^)
力を求めるのは決して悪いことではないけれど、ネガティブな感情が入ったり、「力=人の価値」という考えに囚われると危険。
力の強さに関係なく、ありのままの自分を受け入れること、他の在り方も尊重を忘れないでね(^^)
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