その為に社会が変わり世界が変わることもしばしばあるらしいが、望まずに犠牲を強いられた人々の存在も忘れてはならない。
■ゲバラの長男が広島で献花 58年前、父が訪れた場所へ
(朝日新聞デジタル - 08月06日 17:24)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=4704963
そう思うけどね、どうなんだろうね、立場が違うから分からないよ。
親の主義や思想や信仰の犠牲になんてなりたくない、誰の理想の犠牲にもされたくはない、平和を唱えるその口で原爆投下の出来るのが人間だからな。
当時のアメリカは、早く戦争を終わらせて世界に平和をもたらしたくて原爆投下を決断したんだってさ。
『人並み』を求める事が悪であるなら、誰を殺してさえもその行いは許されるだろう。
私は既に私自身を許しているので、特に今生きている誰の顔色を窺う事もない。
私は安易に金銭的利益を求めて日本国の法を軽々と容易く踏みにじった連中の顔も名前もよく覚えている。
人間らしいとは、そう言った事だろう。
私は私の上に為された過去の行いに対する慰謝を要求したのだ。
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