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2017年04月24日17:02

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ぶらり大阪を歴史散策 ��

蓮如は、大阪(大坂)という地名の名付け親として知られていますが、
1496年(明応5)、現在の大阪城の地に「大坂坊舎」を建立し、
その後、京都にあった山科本願寺が破却されたことから、
大坂坊舎は1533年(天文2)本寺と定められ、
●大坂本願寺(石山本願寺)となる。
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 大坂本願寺を中心に寺内町が整備され、
大阪の町は、飛躍的な発展をとげるのです。
天文初年頃には、清水町、北町、西町、南町屋、北町屋、新屋敷の6町の寺内町に加え、
「大坂並」と呼ばれる、大伴(富田林市)、大ケ塚寺内町(富田林市)、塚口(尼崎市)、名塩(西宮市)、小浜(宝塚市)、富田(高槻市)、枚方(枚方市)、招提(枚方市)、久宝寺(八尾市)、貝塚(貝塚市)などがあり
戦国時代には、政治、軍事、経済、宗教が一体となった社会体制が
大阪平野の広域に出来上がっていった。
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船の行き交う要所が旧淀川にあり、、
京都の朝廷を牽制できた。
さらに貿易港・堺への通過点であり、
西国大名を討伐する拠点にもなった。

満潮には海流が淀川・大和川の奥まで逆流し、
雨が降れば一面水浸しの湿地帯であった。
浪速(なにわ・なみはや)、
難波は名前のとおり海の波にさらされていて、
大坂の河内もまさに「河の内」であったので、
上町台地はまさに天然の要塞。
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●上町台地(うえまちだいち)
大阪平野を南北に伸びる丘陵地・台地である。
北部は中央区の大阪城付近・天満橋の辺りで、
そこから緩やかに小山を形成し、天王寺区・阿倍野区周辺を経て、
南部の住吉区・住吉大社付近に至り、
その辺りでほぼ平地になり清水丘を以て終わり、長さ12kmに及ぶ。
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http://www.nikkeibp.co.jp/sj/2/special/267_data/index57.html

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