まあ、沖縄史やっていると、知らないことがいっぱいあって驚く。
1609年、つまり江戸時代のはじめ、薩摩藩は徳川家康の許可のもと、琉球に軍事侵攻する。薩摩藩は奄美諸島を直接統治したが、沖縄本島、宮古八重山は間接統治にし、秘密裏に中国(明、清)と貿易させ、その上前をはねて藩財政を維持しようとした。ここに琉球の日清両属体制が生まれる。東アジアのいい加減な国家体制感のもとでは、それで通用したのである。(足利義満も明の皇帝に「日本国王」という名目で貿易させてもらっていた)。
ところが、近代的主権国家体制のヨーロッパ文明が入ってくると、そうはいかなくなる。また、明治国家もそのシステムでやって行く方針に転じる。
そんなとき、宮古島の住民が台湾に流れ着いて、原住民に虐殺されるという事件が起きる。これで、明治政府は清国にいちゃもんをつける。
我が国の国民が、貴国の国民に殺された、どうしてくれる、と。
清国にしてみれば、「えーっ?」って話。台湾は実効支配していないし、琉球は「朝貢国」のはずだった。そのうち台湾出兵とかあって、調停にアメリカのグラント大統領が乗り出す。
グラントは真ん中をとった。
すなわち、沖縄本島は日本の領土。その代わり、宮古八重山は清国。
これには日本も琉球もびっくり。
そうこうするうち、日清戦争が起こり、台湾まで日本領となった。その結果、宮古島、石垣島等は日本の領土であり続けている。
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