今日は自転車で上板橋付近を散策していました。
まずは上板橋駅内の東武トップツアーズの店に行き、来週末の「日光夜行」の申し込みをしてきました。昔は東武で「日光山岳夜行」という列車が運行されていましたが、いつの間にか廃止になってしまい、それが今年10月に3日間だけ復活します。尾瀬夜行やスノーパルと同様のツアー専用列車になり、現地でのバスや帰りの乗車券とのセットのみの販売となります。
係員が慣れていなく、手続きに異常に時間がかかりましたが、無事に来週金曜夜発の日光夜行のチケットを買うことができました。
あとは当日に悪天候になったり、列車にトラブルが起きたり、現地で猿や熊に追いかけられたりせずに無事に旅を行なうことができることを祈るのみです。
その後は食事にしましたが、南口の細い路地に550円ランチと書かれた看板を見つけ行ってみると、「船底」という昭和中盤くらいの雰囲気の古風な居酒屋を発見。入ってみると客はいなく、高齢のマスターが一人だけいました。
今回はランチのメンチとコロッケ定食を注文。待っていると、奥のテーブルに犬が寝ているのを発見。この店の店長の「モコ」とのことです。
定食は割と普通のコロッケとメンチのセットで、コロッケの形と中身がやけに整っていて市販品を揚げただけなのが思いっきり分かってしまいますが、小鉢に店先で煮込んでいたおでんのような大根がついてきたり、たっぷり入った味噌汁の具など、古き良き時代の雰囲気のままの手作り感あふれる定食でした。
食後は、店の前の細い路地を抜けて上板南口銀座商店街に出て、線路沿いに東武パン直売所という工場直売のパン屋を見つけたので立ち寄ってみました。
売っているパンは食パンから惣菜パン、菓子パン、ケーキまで色々ありますが、オーソドックスなパンばかりで変わったものは置いていません。値段は比較的安めで、前日製造のパンはさらに安く買えます。地元では人気店らしく朝から人が並ぶそうで、昼過ぎに入ったので完売商品が目立ちました。
せっかくだから何か一つ買ってみようと思い、フィッシュサンドを買いました。味はごく普通というのが正直な感想ですが、昔ながらの惣菜パンの雰囲気はいいですね。会社に買って帰るのか、常連客風のアンジェラアキみたいな人が沢山買っていました。
店を出ると裏に猫を発見。警戒気味で寄っては来ませんでしたが、逃げることなく写真を撮らせてもらいました。また、猫写真を撮っているところをアンジェラアキみたいな人に見られ、笑っていたので少々恥ずかしかったです(汗)。
その後は、線路から見て斜めに伸びる道を通って、旧川越街道の北一商店街方面に進みました。実はこの道沿いのギザギザのマンションは廃線跡で、戦時中に陸軍施設(現・陸上自衛隊練馬駐屯地)への貨物線として建設され、戦後は米軍に接収されて、今の光が丘にあった米軍住宅のグラントハイツまで延長され、1959年(昭和34年)に廃止になった東武啓志線の跡地です。「啓志」という名称は地名ではなく、グラントハイツ工事責任者のヒュー・ケーシー少尉の名前から取ったものだそうです。基本的に貨物輸送が中心だったようですが、数か月だけ旅客営業が行われて、池袋からノンストップで直通の軍人専用列車が運行されていたことがあったようです。
また、上板橋駅は結局未成線に終わってしまった東武西板線(西新井〜上板橋)の終着駅になる予定だった場所でもあります。西板線は現在の東武大師線である大師前までの1駅だけは開業できたものの、関東大震災で計画がストップし、震災後は予定地の都市化が急速に進んで用地買収が困難になったり、工事中だった荒川放水路への架橋で建設費が膨らんだなどの影響で、断念せざるを得なくなったそうです。
なお、上板橋駅手前の分岐点付近に操車場用として確保してあった土地は、計画断念後に東武版田園調布を目指して常盤台住宅地として開発され、ときわ台駅が開業したそうです。
もし西板線が開業していれば、スカイツリーラインと完全に分断されている東上線系統が直結することとなり、その後の東武の経営にも大きく影響したでしょうし、東西の鉄道アクセスが貧弱な東京北部の交通体系や街の姿も大きく変わっていたかもしれませんね。
さて、啓志線の話に戻りますが、このギザギザのマンションを抜けると旧川越街道に出て、そこに北一商店街入口のアーチがありますが、ここが啓志線の踏切跡だそうです。その先も廃線跡はあるはずですが、完全に宅地化されており歩いてその痕跡を探すのは難しいです。ただし地図を見ると、家の向きや形状から廃線跡と推定できる場所はこの先にもところどころに見られますが、今回は時間の都合もあってそこまで隈なく探しませんでした。
また、ここはちょうど板橋区と練馬区の区境で、踏切跡のアーチの後ろには字が風化されて消えてしまっているかなりの年代物と推定される庚申塔も立っていました。
すぐそばには下宿稲荷大明神という小さな神社もあります。
ここに掲示されていた奉納者の名前一覧に「キング惣菜店」というのがあり、どうしても七つの大罪のキングを連想してしまい行ってみようと思ったのですが、残念ながら既に閉店している店のようです。閉店していなければ、数駅隣に住んでいるゴウセルの格好が似合いそうな私の娘と間違えられた某所の整形前のスザンヌみたいな人を連れていて、記念撮影しようかと思いました(嘘)。
その後、川越街道(国道254号線)に出る手前で不思議な建物を発見。南欧風のデザイナーズマンションとのことで、中には噴水があったりするそうですが、あまりにも奇抜すぎるデザインは飽きが来るのが早いでしょうし、駅から微妙に離れた場所や国道からちょっと外れた場所という立地条件だと、こういうデザインの建物はラブホテルと間違えられそうです。
また、川越街道に出たところに田柄川緑道を発見。田柄川は、光が丘公園に源流があり、練馬駐屯地の北を通って、最後は城北中央公園付近で石神井川に合流する小さな川だったそうですが、戦後は水質の悪化や狩野川台風などでの水害が問題視されて暗渠化されてしまったそうです。
田柄川緑道をそのまま進むと、下宿橋跡などを経由して環八にぶつかりますが、ちょうど北町若木トンネルを抜けて練馬北町陸橋へと上がるアプローチ部になっていて、コンクリートの壁に阻まれています。
迂回して環八を渡り、国際興業バスの練馬北町車庫の裏に行くと緑道は再び続いていますが、時間の都合で少しだけ見て引き返しました。折り返した場所にあるマンションも、築年代不明ですが結構年季の入ったマンションでした。
その後は、環八のトンネル上の旧川越街道沿いにある「下練馬の大山道道標」を見ました。ここは川越街道とふじ大山道(富士街道)との分岐点だったそうですが、ここから田無、押立の渡し(多摩川)、稲城市長沼、町田市図師、厚木などを経て大山へと道が続いていたというのは、現在の感覚では信じられない気がします。機会があればその道をそのまま辿ってみたいものですね。
トンネルの真上は、環八の側道にあたる道と公園がありますが、東武東上線の線路に踏切はなく、完全に分断されています。少し離れた踏切を渡ると側道は急な下り坂となって、下りたところに環八の北町若木トンネルの入口があります。環八が全線開通した10年前にここを通ったことがありますが、当時はまだ完全に整備されていなく、ところどころ工事中だった気がします。
また、坂を下りたところには喫茶店があり、店の前に猫がいました。店の飼い猫でしょうか。
そのまま環八沿いを通って帰ろうかと思ったのですが、非常に細くて急な坂が気になったので、再び上がって若木1丁目界隈を散策。10年前に火の玉が現れてボヤが起きたと言われた若木の心霊スポットの噂を聞いて、夜中に怖いもの見たさでここを散策したことがありますが、結局心霊スポットは見つかりませんでした。また、板橋区では絶滅したと思われていたぼっとん便所のアパートもありましたが、現存するかは不明です。
坂を上がり切ったところには銭湯もあり、古き良き時代の雰囲気がありますね。
また、途中のセブンイレブンの駐車場に車体の至るところが黒いフィルムで覆われた2台の怪しい車を発見。よく自動車雑誌などで投稿されるテストカーですね。エンブレムなどもフィルムで覆われていたけど形状からホンダ・フィットではないかと思われるので、新型フィットの試作車でしょうか。
その後は中台界隈を抜けたのですが、この辺りはアップダウンが激しいです。また、右に進むと下り坂で左に進むと上り坂という箱根の登山電車みたいな道もあり、右の下り坂のほうに猫が見えたので坂を下りたら結局行き止まりで、登って戻らなければならないし、猫も撮れなくて残念な思いをさせられました。この界隈は坂を下りたら行き止まりだったという場所は他にもあり、慣れないと苦労します。
坂を下り切ったところには大規模マンション群の「サンシティ」があります。ここは、元々は旭化成研究所があったそうですが、森林や池があってなかなかいい雰囲気でした。確か志村城跡だったと思い調べてみたら、本丸があったのはサンシティではなく首都高を挟んで反対側の別の大規模マンションが建っている場所でした。
最後はここから環八に出て、途中で買い物をしてから帰りました。
今回の日記、その他写真は、こちらにもアップしております。
http://blogs.yahoo.co.jp/silkroad_vx/40257317.html
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