1つ目
シールズ 15日解散 政治に斬新な表現、若者の共感呼ぶ
http://mainichi.jp/articles/20160814/k00/00m/040/040000c
>東北や関西、沖縄でもグループが生まれた
少なくても東北に関しては、以前から東北大を拠点として活動してきた団体の一派が、シールズの看板を掲げただけ。例えは悪いけれど、各国のイスラム過激派組織が「イスラム国○○支部」と名前を変えたのと変わらないだろうと。東北以外の地域も、多かれ少なかれ同じようなものではなかろうか。
で、マスコミは「若者の共感呼んだ」というけれど、いざ18歳選挙が始まってみれば、10代20代の投票傾向は与党寄り。シールズのラップは、同世代の心にはあまり響かなかったらしい。むしろ、周辺の中高年の方が、余程ノリノリでラップに聞き入っていたと思う。
結局、若者を新たに政治活動に向かわせたというよりは、既にあった勢力を結集させるための旗印になったという感じのムーブメントだったなと。それはそれで、十分に意味のある話なのだけれども。
今後はメンバーが個々に政治に関わっていくらしい。コネクションを持っている人間は代議士も狙えるだろうし、そうでない人間は就職にも大きな障りがあるだろうか。格差社会を批判した割には、その後の進路は格差があるよなと。
2つ目
最近、老齢の人と関わる機会が多かったのだけれども、若い頃かなりしっかりしていた人でも、話の前後で噛み合わなかったり、以前の自分の言行を全く忘れていたりと、「老いたなぁ」と感じさせられることが多々あった。
鳥越俊太郎「私は都知事になるでしょう」 → 落選 → 「全く思ってなかった。冷めてた」
http://hosyusokuhou.jp/archives/48241721.html
今回の選挙での奇矯な言行でもって、鳥越のこれまでを全否定する人がいるけれど、今回の鳥越の「これ」は、明らかに老齢による「それ」。今現在「それ」だからといって、これまでの人生を全否定するのも酷というもの。「それ」になってしまった以上、今と過去は分けて評価してやるべきなんだろうと。
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