江戸時代の東海道の旅の様子を描いた人は、尾張徳川家の家臣・高力種信
(1756〜1831)という人が「猿候庵」のペンネームで書いた「東街便覧図略」と
いう書物に書き残しています。当時の宿場の様子や旅bとのいで立ちなどが
詳細に描かれている資料です。
江戸時代富士川も流れが早くて水量もあるために、旅の難所の一つでした。
富士川を渡り東側には豊かな水田が広がり、ここからとれた米と、富士山の
万年雪が解けて流れ出る清明な水を用いて「富士の白酒」が造られていた。
別名「芙蓉酒」ともいわれ、その名は東海道でも知らないものはないというほ
どの名物であったようだ。沢山の旅行記や案内所に記され、北斎や広重の浮
世絵にも登場。
その商いの様子を描いたのが猿候庵で、(1768)この絵が最も早く描かれた
ものではないか。場所は富士市本市場(又は元市場)あたり、蒲原宿と吉原宿
との間宿であった本市場の実景を描いている。実がの店が「花野や」で左が
「和泉や」。どちらも立派な店が前だ。
絵のコメントには、説明が付けてある
「この白酒を商う店には、どの店にも銚子や杯台、猪口のような小さい杯が
厨子棚のような棚に飾ってあり、大変洒落ている」とある。また「軒下の板持
(桟)が黒塗りなのに目を留め、他では見ないのでここの独特の風習なのだ
ろうか」と書いている。さらに、この茶屋にはネギの雑炊もあり、これもここの
名物だともある。
白酒の造り方であるが、製造元はこのあたりの民家で作られ、もち米を酒に
漬けて醸したものだったようだ。「その白いことと言ったら乳のよう、甘いこと
と言ったら飴のよう」と例えている。
一世を風靡したこの富士の白酒、現在は姿を消したが、最近リニューアル
オープンした富士山かぐや姫ミュージアム(富士市立博物館)には、広重の
絵をもとにしたと思われるシロザケ屋の店先が復元されている。
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