http://9001.teacup.com/sfk/bbs/16510 (写真入り記事)
今日は、久しぶりにJCMNの牧師の集まりに行って来ました。ここは、互いに利害関係がないだけではなく、フラットな人間関係作りを目指していますので、気楽で励まされます。
ピラミッド組織のような上下関係は場所によっては必要だと思います。
しかし、同じ牧師でも、信徒数が多く、大きな教会堂を持つ牧師から順番に並ぶような会は肩がこるものです。
そのように、目で見える形でその集まりの本質がわかる場合もありますが、目に見えない空気が、その集まりの本質を雄弁に語ってくれることがあります。
自分の居場所がないように感じる集まりもありますし、「待ってました!」とばかりにきちんと居場所があるように感じる集まりもあります。
私は、いろいろなところに説教(講演)をしに行きますが、登壇する前からどれくらい歓迎されているのか?聴衆の期待度を空気で感じ取れます。
主催者が私を講師として招いて下さっているのに、「来る場所を間違ったかな?」と感じたことがありました。演台の前に立つと、「早く終われ!」という空気を感じました。お互いに敵同士ではないはずなのに、挑まれているように感じました。
しかし、実際は悪魔の仕業で、「相手が私を快く思っていない!」と思い込ませる策略だと気づきました。
私は考え方を変えました。
「今は、固い雰囲気で、私の話を聞きたいと思っていないように感じても、実はそうではなく、みなさんが疲れていて、私に助けを求めているのではないか!?」
私は、聴衆一人一人が、「今日の話は良い話だった。神様が私を愛しておられ、私を助けて下さるなんてありがたい!!」と、喜びの涙を流している姿を思い描きながら講演を続けました。
繰り返し、神は良いお方であり、問題を解決し、マイナスをプラスに変えて下さる方であることを、手を変え、品を変えながら伝えました。
気がついたら、会場が一つになっていました。涙を流している人も何人も居ました。「今日のお話で助けられました。ありがとうございます!」とお礼をいわれました。
私が感じ取った空気は、人がかもし出す空気ではありません。悪魔がかもし出す空気でもありません。神の霊がかもし出す空気でした。
上記のように、空気には三種類あります。
�� 人がかもし出す空気
�� 悪魔がかもし出す空気
�� 神がかもし出す空気
これらの空気が互いに影響しあって、その場の空気を作り出しています。
空気を読めない人を「KY」と呼びますが、人のかもし出す空気を読みすぎると、おどおどするようになり、不自然に敏感になり、行き過ぎると精神的に病んでしまいます。
悪魔の空気を読みすぎる人は、悪いことを考えます。そして、結果的に悪いことをします。人を憎み、敵視し、悪を企てます。
「心に満ちていることを口が話すのです。」(マタイの福音書12:34)
どんな空気を読むかによって、その空気が心に影響を与え、心を満たします。
心に満ちたことを口が語り、口が語ることを行うようになります。
私は、悪魔の空気を感じたら、「イエスの名前で命じる。悪霊どもを退け!出て行け!」と語ります。
「ですから、神に従いなさい。そして、悪魔に立ち向かいなさい。そうすれば、悪魔はあなたがたから逃げ去ります。」(ヤコブ書4:7)
聖書は、「悪魔に立ち向かいなさい!」と語ると同時に、「神に従いなさい!」と語ります。
神に従うとは、祈って、神の空気を読むことからはじまります。
神は愛であられ、神は良いお方です。良い事を計られます。
先ほどの、私の話を聞いてくれるとは思えない雰囲気の中で、しばし祈りました。そうしたら、これは会を失敗させようとする悪魔の計略であり、人々の悲鳴だと気づきました。
神は、そこにいる聴衆のために命を捨てるほど愛しておられ、問題を解決しようとしておられることがわかったので、神の空気に従い、その通りに講演を続けました。
結果は、お話したとおりです。
「空気を読む」と一言でいいますが、どの、誰の空気を読むのかが大切なのです。
JCMNの集まりは、ダイレクトに神の空気を感じることができます。心が安らぎ、平安に満ちています。
しかし、一見、そこに流れる空気が悪くても、その一つの空気に流されるのではなく、神に祈って、神の空気を読み、神の空気に従って生きることが素晴らしい人生を生きる秘訣だと思います。
今日も、これから御茶ノ水に行って祈祷会に参加し、ひたすら祈り続けます。
私は、祈りの中で感じた空気をもとに文章を書いて、みなさんに分かち合いたいと思っています。
共に、神様の空気を感じて、神様の空気を分かち合い、その空気に従って生きてまいりましょう。
今日も一日お疲れさまでした。
ログインしてコメントを確認・投稿する