http://9001.teacup.com/sfk/bbs/16487 (写真入り記事)
昨晩は、長野から夜遅くに帰宅し、帰ってからパワーポイントや週報の準備、説教の整理などをして休みました。
金曜日と土曜日は、朝5時少し前に置きましたので、今朝も5時に目覚めました。習慣っておもしろいですね。体が自動的に反応するんですよね。
今日は、三回の集会で奉仕をしました。朝の礼拝、夕の礼拝、そして、首都圏イースターです。
先週は、一人の男性が洗礼を受けましたが、今日は、一人の女性がイエス様を信じました。私にとっての最高の喜びの瞬間です。
どんな苦労をしたとしても、人が救われ、洗礼を受ける瞬間に立ち会うことで、すべての苦労を忘れ、全ての疲れが吹き飛びます。
今日は、お昼から福音派の諸教会で力を合わせる集会の奉仕をしました。
途中、講師の説教を聞きながら、何度かうとうとして舟を漕いでしまいました。礼拝中に寝てしまう人の気持ちが判りました。疲れている上に、優しい語り口調の説教を聞くことで、気がついたら夢の国。ハッとして目を覚まし、また寝てしまいました。
イースターの集会の奉仕が一段落した時に、途中退席し、すぐに教会に戻りました。場をつないでいてくれましたので、到着と同時に説教に入りました。
久しぶりに礼拝に参加された方が来ていたので、奉仕を中断し、急いで戻ってきてよかったと思います。
今になって、疲れがドーッと出て来ましたが、繰り返し、イエス様の復活のいのちの力を頂きました。
復活とは、息を吹き返すこととは違います。息を吹き返すとは、弱った状態から元気になることを言いますが、復活は死ななければ復活ではありません。
象徴的ですが、死んでしまったほどに疲れていたのに、また元気になったという意味です。
ここのところ、ゆっくり説教の準備ができないほど忙しい一週間を過ごしています。
そんな日に備えて、複数回の説教の準備をしておきます。不思議ですが、説教の準備は大変なのに、説教のストックはあっという間になくなってしまいます。
1〜2ヶ月分の説教準備が終わっていることが理想です。
丸一週間説教準備に専念できるなら、それが可能です。
しかし、時間があれば説教の準備ができるのではありません。イエス様の復活のいのちを体験しなければ、それは単なる知識の切り売りです。
生活の中で、まずは自らが死ぬような試練の中で神に頼り、神の復活を体験することが必要です。
それでこそ、つらい人の気持ちと、そのつらさの中で復活を体験する道を指し示すことができます。
究極に疲れ、眠い一日でしたが、イエス様の復活を体験することができました。
ぜひ、復活のいのちの力をみなさんにも体験してもらいたいです。
今週もよろしくお願いします。
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