宝台院(ホウダイイン)
金米山宝台院
宝台院は徳川家康の側室で二代目将軍秀忠の生母西郷の局(お愛の方)の
菩提寺である。西郷の局は二十七歳で家康に仕え、天正七年(1579)四月に
家康の第三子秀忠を生んだ。家康三十八歳の時である。このころ家康にとって
は、浜松城にあって、三方原の合戦、設楽原の合戦、小牧長久手の合戦と戦争
に明け暮れた最も苦難時代であった。西郷の局は家康の浜松城時代に仕え、
苦しい浜松城の台所を仕切った文字通り糟糠の妻であったということができる。
天正十四年十二月、西郷の局は長かった危難の浜松城時代を終え名実ともに
東海一の実力者となった家康とともに駿府入りをした。家康の陰の立役者として
献身的に仕えた西郷の局は、駿府入りとともに浜松時代の疲れが出て天正
十七年(1589)五月三十八歳の短い生涯を終えた。
後年将軍職についた秀忠は、母のために盛大な法要を営みその霊を慰めた。
以来、徳川三百年の間この宝台院は、徳川家の厚い保護を受けたのである。
寺宝 白本尊如来像(重要文化財)ほか多数
静岡県
石碑銘文
徳川家康公側室秀忠公生母
西郷の局(お愛の方)之墓
キリシタン灯籠
古田織部が制作して
駿府城へ奉納したもので
家康の侍女ジュリア?
おたあらが信拝した。
その後キリスト禁止令が
出ておたあは神津島へ
配流された。場内より
駿府奉行所を経て
宝台院へ移された。
ログインしてコメントを確認・投稿する