mixiユーザー(id:139150)

2016年03月18日22:05

838 view

東海道の食べ物 小夜の飴餅

フォト

日坂の宿を超えて(現在は国道1号線の下を潜り抜けて)いよいよ坂道に
入ります。小夜(サヨ)の中山を山越えします。「さよ」は「さよ」または「佐夜」
(サヤ)とも書かれましたが、現在は「小夜」ごなっています。
 その峠は険しい坂道を登り(掛川市佐夜鹿)にあり、峠の茶店で売られて
いた飴餅店を描いた図がこの図である。 
 今は夜泣き石のある寺と、茶店(子育て飴)を売る店があるだけで、他に
お茶農家の建物があるだけです。旧道のあちこちには、俳句の句碑やら
和歌を刻んだ歌碑があちこちにありますね。昔と違うのは、お茶畑が沢山
あることかな。

「飴餅」とはあまり聞きなれない言葉ですが、それは五文(百五十円)くらい
で買える餅に、練り飴を掛けた物で、その甘いことは、世の中の他の餅とは
比べ物にならない。それでいて風味は軽く歯に着くこともない。遠くへの土産
に求めても味加減が変わらないという。およそ道中に名物は限りないが、飲み
食いの品ではこれを第一とすべきと絶賛する。
フォト



図を見ると、駕籠に乗ったままの客が箸で食べてるのが飴餅だろう。この店で
は他に「極上焼酎」、一切れが一文(30円位)のえぼし飴、曲げ物に詰めた練り
飴(大が三十二文、小が二十四文)も商っていた。
 店先に腰かけた旅人は、竹の皮に包んだえぼし飴を食べている。奥にはねり
飴を曲げ物に詰めている女性店員。店先に垂れ下がるのれんには「根本 さよ
の中山 御あめ屋 お茶屋の前」と染め抜かれている。暖簾の上の部分にある
赤い扇の絵が「トレードマーク」でしょうか?今も同じ場所で営業している扇屋
さんを思わせます。
真ん中の黒い看板にキャッチコピーがあります。曰く
「家伝あめの餅 諸病に薬 諸毒消し 人をこやして力ますなり」

さて、この小夜の中山は文芸好きには心惹かれる場所。有名なのは西行法師
が詠んだ歌。「年たけてまた超ゆべしと思ひきや 命なりけり  さやの中山」
が有名であるが、その句をもじりこの飴餅屋では狂歌ふうにしている。
「年よりて 又若うなる薬とて 命をのぶる さよのねり飴」として、左の看板に
堂々と掲げている。西行もびっくりポンだ。

遠州の七不思議の一つに、「小夜の中山夜泣き石」があります。
曲亭馬琴「石言遺響」(文化2年)1808年に書かれています。
 その昔、お石という身重の女が小夜の中山に住んでいた。ある日、お石が麓の
菊川の里で仕事をして帰宅の途中、中山の丸石の松の根元で陣痛に見舞われ
苦しんでいた。そこを通りがかった轟業右衛門という男がしばらく介抱していたが
お石が鐘を持っていることを知ると斬り殺して鐘を奪い逃げ去った。
 その時お石の切り口から子供がうまれた。そばにあった丸石にお石の霊が載り
移って夜毎に泣いたので集落の人は「夜泣き石」と呼んで恐れた。生まれた子供
は夜泣き石のおかげで近くにある久延寺の和尚に発見され、音八と名付けられ飴
で育てられた。音八は成長すると大和の国の刀研師となった。
 そんなある日、音八は客の刀を見て「いい刀だが刃こぼれしているのが実に残念
だ」と言うと、客は「去る十数年前、小夜の中山の丸石の付近で妊婦を切り捨てた
時に石に当たったにだ」と言ったため、音八はこの客が母の仇と知り、名乗りをあげ
恨みを晴らしたということである。

夜泣き石の場所(二か所あります)
◎国道1号(旧道沿い)の中山トンネルの手前(東京側)の道路脇
 お店が2軒ありますので、立寄って場所を確認するのが良い弟子。
 「夜泣き石」を東京で見世物にしようと興行師が失敗、焼津に置き去りにされて
 いたものを地元に人が運んだとされる。こちらが本も二。
◎久延寺の境内〜こちらは本来の夜泣き石ではない。


4 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2016年03月>
日 月 火 水 木 金 土
  12345
6789101112
13141516171819
20212223242526
2728293031  

最近の日記

もっと見る

過去の日記

2026年
2025年
2024年
2023年
2022年
2021年
2020年
2019年
2018年
2017年
2016年
2015年
2014年
2013年
2012年
2011年
2010年
2009年
2008年
2007年
2006年
2005年
2004年