mixiユーザー(id:17713252)

2016年03月02日12:23

239 view

「一日一シャ〈謝と捨と洒と写〉【331】 2016/3/2(火) 類は友を呼ぶ」

http://9001.teacup.com/sfk/bbs/16399 (写真入り記事)

インターネットを活用する楽しみの一つは、新しい出会いと、出会ったもの同志の関係を深める手段になり得ることです。

一昔前、関係する団体でホームページを作ろうという話し合いになった時に、年配の方々の中から賛否両論が出ました。

�.ぅ鵐拭璽優奪箸鮖箸Δ函�個人情報が流出して危険だ
�▲ぅ鵐拭璽優奪箸鮖箸Δ函◆覆泙襪破睨,任盪箸Δ茲Δ法砲發里垢瓦す�告の効果がある

インターネットは、使い方次第では危険も伴いますし、使い方次第では効果的な情報伝達手段にもなり得ます。

しかし、そこには何の魔法もありません。しっかりしたコンテンツを持っていなければ、ほとんど効果を期待することはできません。

また、何が危険かを勉強し、知った上で慎重に活用すれば、まず危険な目に遭うことはありません。

インターネットを活用していて面白いと感じることは、ことわざに「類は友を呼ぶ」と言われるように、似た者同志が出会い、惹かれ合い、関係を深められることです。

掲示板、チャット、ライブチャット、ブログ、SNS等をはじめた頃は、友達や仲間を増やそうと努力しました。

しかし、ある時にわかったことがあります。

いくらたくさんの人と出会っても、価値観、考え方、志(こころざし)等が似ていない人と知り合ったとしても、その多くがそれ以上親しくなることはありません。

反対に、出会いを求めなくても、長年SNSをしていれば、たいていの人とは、いつか、どこかで知り合うチャンスがあり、親しくなれる人が居るものです。それは、親しくなるべくして親しくなった人です。

もちろん、すべての出会いの背後には、神の摂理(=お導き)があると信じます。

中には、「あなたともっと昔から知り合っていたら良かったのに」と思う人が何人も居ます。

しかし、そうではありません。

出会い方は、その人との今後の関係の方向を決めてしまうことがあります。

時には、敵と味方を分けてしまうことさえあります。

だから、人との出会いは不思議です。

インターネットを通して知り合った人の中には、
�.優奪箸巴里蟾腓ぁ▲螢▲襪粘愀犬鮨爾瓩訖�
�▲優奪箸巴里蟾腓ぁ▲優奪箸能�わってしまう人
��リアルで知り合い、リアルで終わってしまう人
�ぅ螢▲襪巴里蟾腓ぁ▲優奪箸粘愀犬鮨爾瓩訖�
などが居ます。

人間関係には、出会う場面設定、出会う時期が大きく左右することがあります。

「もし・・・」ということを考えるのは非現実的ですが、理想的なカップルになり得る男女なのに、そのお互いが出会う前に別の人と出会って付き合うようになったり、結婚をしたとしたら、通常は、恋愛や結婚はあきらめなくてはなりません。

また、その人の置かれた環境によっても、どんな人に惹かれるのかも変わってしまうものです。

例えば、ある女性が、運転手になるのと、婦人警官になるのと、看護師になるのと、社長秘書になるのでは、惹かれる相手も違いますし、結婚する相手もまったく変わります。

ある知人は、「結婚したいのに、結婚相手との出会いがない!」と嘆きますので、私は次のようにアドバイスしました。

「出会いがないことを嘆くのではなく、やがて来る出会いに備えて自分を磨き、自分に与えられた人生をひたむきに生きて下さい。」

この人は、私のアドバイスを心に留めて、以後、自分磨きと自分を生きることに徹したそうです。

そんなある日、素敵な男性との出会いがありました。その瞬間、男性の心がときめきました。輝いて生きているその女性に一目惚れをして、しばらくして結婚をしました。

もし、その女性が、以前のように、出会いがないことを嘆いていたとしたら、男性は女性に魅力を感じなかったかも知れません。

大切なことは、自分を生きることです。

どんな人でも、自分を生きているならば、魅力があります。

バラにはバラの美しさがあり、チューリップにはチューリップの美しさがあり、ひまわりにはひまわりの美しさがあるように、あなたにはあなたの美しさがあります。

歌を歌ったCDを出したり、自分が執筆した本を出したいと思っていたことがあります。

しかし、CDを出さなくても、一緒に歌を歌ったりネット上で歌を聞いてもらうことができますし、本を出さなくても、ネットを通して文章を読んでもらうことができます。

それは手段に過ぎません。それよりも、自分を生き、自分の心を分かち合いたいと思います。

10年前は、週に一度程度、文章をブログに載せていました。7〜8年前は、2〜3日に一度文章をブログに載せました。4〜5年前から、毎日文章をSNSに載せるようになり、ここ1年は、1日に2回文章をネットに載せています。

文章を通して、たくさんの人に喜怒哀楽の体験や聖書のメッセージを分かち合うことができることは、無上の喜びです。

少しずつですが、親しくなる人も与えられました。

「類は友を呼ぶ」というのは本当だと思います。

「たった1人でいいから、素敵な友達がほしい」と願っています。

だから、仮に、友達100人ができたとしても、数を考えるのではなく、それぞれがたった1人の友達として考えます。

有名なこんな歌がありますよね。

「一年生になったら」 まど・みちお 作詞/山本直純 作曲

一年生になったら 一年生になったら ともだち100人 できるかな
100人で 食べたいな 富士山の上で おにぎりを パックン パックン パックンと

一年生になったら 一年生になったら ともだち100人 できるかな
100人で かけたいな 日本中を ひとまわり ドッシン ドッシン ドッシンと

一年生になったら 一年生になったら ともだち100人 できるかな
100人で 笑いたい 世界中を ふるわせて ワッハハ ワッハハ ワッハッハ

100人の友達がいても、広く浅い付き合いの100人なら、100人で富士山の頂上でおにぎりを食べても、100人で日本一周の旅に出かけても、100人で世界を震わせるような大笑いをしても、歌手のコンサートを見ている時は、会場が一体になって応援するので仲良くなったように感じても、終演後には、それぞれがバラバラ会場を後にするように、群衆の中の孤独を感じるものです。

しかし、たった1人の友達が100人なら、きっとお互いが深く心を通わせられるのではないかと思います。

通常、人が集まると、そこには必ず問題が生じます。誰かが誰かを妬んだり、邪魔だと感じたり、嫌ったり、反対に、尊敬したり、特別視したり、好いたりするものです。

そこには、深い人間関係がないからです。

少し嫌なことがあっても、親しい友人なら大目に見てあげます。

組織の人間関係がギスギスするのは、お互いが利害関係以下の人間関係しか持っていないか、広く浅い人間関係だからです。

類は友を呼び、親しくなり、互いに人間関係を深めていきたいと思っています。

鷲は鷲同士、カラスはカラス同士、スズメはスズメ同士、渡り鳥は渡り鳥同士が仲良く空を飛びます。

最初は、価値観、考え方、志(こころざし)などの似た者同士が惹き合い、親しくなりますが、最後は、人類というもっともっと大きな類同士が友となり、友を呼び合い、親しくなれることを夢見ています。

「聖なる父。あなたがわたしに下さっているあなたの御名の中に、彼らを保ってください。それはわたしたちと同様に、彼らが一つとなるためです。」(ヨハネ17:11)

「時がついに満ちて、この時のためのみこころが実行に移され、天にあるものも地にあるものも、いっさいのものが、キリストにあって一つに集められることなのです。」(エペソ1:10)

普段は、TVを見る習慣がありません。神学校時代、TVを見ることが禁止されていました。今考えてみれば不思議な規則の中に置かれましたが、TVを見なくても、ネットや新聞があれば問題なく生きていけます。

しかし、最近は、TVで放映される韓国のドラマにはまっています。

面白いことに、韓国ドラマは、多くの韓国人も見ますが、日本人の多くも夢中になっています。

日本人や韓国人という枠組みを超えて、1人の人間として共鳴する内容や演出だからです。

政治的にはあまり仲が良くない日韓両国ですが、ドラマを通して、民衆レベルでの関係は大きく変わったのではないかと思います。

私は、やがて人種、民族、国語、肌の色、好き嫌いを超えて、友達の輪を広げていきたいです。

今日も、みなさんと分かち合えたことに感謝しています。

3 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する

<2016年03月>
日 月 火 水 木 金 土
  12345
6789101112
13141516171819
20212223242526
2728293031