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2016年02月26日15:25

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「一日一シャ〈謝と捨と洒と写〉【326】 2016/2/26(金) 新しい印刷機納品と神への信頼」

http://9001.teacup.com/sfk/bbs/16387 (写真入り記事)

今朝は、朝からとても忙しく動き回っていました。お昼くらいまでかかる仕事を10時半までに終わらせないといけなかったからです。

先日、新宿アルタスタジオで開催された「理想科学工業株式会社|RISO」の展示会で、特別な値引きに加え、通常では考えられないサービスを条件に、新しい印刷機を成約しました。

RISOのリソグラフ機は、多くの教会もリースをしているか所有していますが、印刷物の多い教会向けの印刷機です。また、近隣の小中学校も同じような機械を使っています。

ただ、通常は、教会にしても、学校にしても、印刷機は公金で買うものだと思いますが、私の場合は、ポケットマネーからでないと買えないため、そんなべらぼうに高い機械ではないのに、今まで使っていた機械が修理不能だと言われ、印刷は外注で行うか、コピー機で行うなどにして、買い替えをあきらめていました。

壊れた印刷機の修理に際して、修理担当者に加え、営業の人も来ていましたので、自分の中であきらめるための口実として、あり得ないくらいの予算を提示しました。

営業の人は、とても苦しみ、困った顔をしていましたが、「宿題にさせて下さい」と言って帰って行かれました。

絶対に、「それでも買って下さい」とは言われないだろうと確信していました。

ところが一週間後、営業の担当者から電話が入って、私が提示した額より税込みで1万円安い額を提示して来ました。

「やられた!」と思いました。

こんなに値引きするのはあり得ないと思ったため、「それ以下の額なら即決もあり得る」とつい言ってしまいました。「断られるに決まっている」とたかをくくっていたからです。

今度は、私が答える番です。

その金額であっても支払える見込みがないので、「1週間から10日ほど時間を下さい」と言いました。その締め切りの頃に、新宿アルタでの展示会が行われました。

インクやマスター2本ずつのサービスに加え、外注で出したら数万円かかるような枚数の印刷するサービスも付けるという条件も飲んでくれました。

展示会で、その日成約をし、2日前に契約を交わし、今日の朝10時半に納品されました。

新車を買った時のような喜びを感じています。思えば、新車で車を買ったのは一度だけで、それ以降の25年間は、程度のよい格安の中古車を乗り継いで来ました。

たった一度だけですが、あの新しい車が納車された日の喜びを思い出します。

しかし、印刷機の下のタイヤがついた台は古いものを使いました。新しくしてもいいのですが、それで17000円が節約できます。

感覚としては、新車を買ったけれど、タイヤは以前乗っていた車のものをはいたという感じです。

もちろん、どうせなら、下の台も新品にしたいですが、今までの機械は中古で譲り受けてから14年間も使いました。50万枚近く印刷しました。愛着があります。古い機械のエンブレムと下台が残ったことで、反面うれしいです。

最後に残った課題は、3月中に一括で印刷機代を支払うことです。重石として、ドスッと肩に乗っていますが、神様が必要を満たして下さると信じて、先ほど、種まきの献金をしました。

自然界には、種をまいたら収穫するという法則があります。その逆は、種をまかなければ収穫できません。

「人は自分のまいたものを、刈り取ることになる。」(ガラテヤ6:7)

私は、今ある捧げられるだけの献金を捧げ、神の畑に種としてまきました。霊的な農夫として種まきをしました。だから、収穫も信じています。

神様は、信仰に入りたての人には、種をまいたら、即座に必要を満たし、祈ったら、即座に祈りに答えられることがよくあります。

しかし、初心者じゃない私には、即座に答えられないこともあります。そうして、信仰が試されています。

私は神を信じています。心の底から信頼しています。神様は、その私を失望させられたことはありません。

しかし、あえて助けないという奇跡を度々行われます。

それがなぜ奇跡なのでしょう?

私も、4人の子どもたちの父親です。子どもたちが困っていたら、願う前から手を差し伸べて助けてあげたいと思います。

子どものためを思って、願いに答えないことはつらいことです。

だから、神様があえて私を助けられないというのは、神様の奇跡だと思います。

創造者であられ、全知全能の天の父なる神様が、あえて答えないというのは、即座に与えることよりももっと重要なことがあるためだと思います。

もし私が、何でも買えるくらいのお金持ちであれば、神様を心から頼らなくても何も問題はありません。

お金の力を実感することになります。

そうしたら、私は、言葉にしなくても、説教で、「必要なものはただ神を頼る信仰です」と語れなくなってしまいます。

「信仰+お金」あるいは、、「信仰+健康」「信仰+アルファ」を語ってしまいます。

なぜ、信仰だけが必要なのでしょうか? なぜ、神を求めるだけでいいのでしょうか?

神に、「あれ下さい」「これ下さい」と祈って与えられることもよいですが、神を求めたら、必要のすべてを与え、満たして下さる神ご自身を求めることになりますので、神お一方を求めるだけで十分なのです。

聖書は、「だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。」(マタイ6:33)と語ります。

お金を含めて、衣食住は、後半の「そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。」(マタイ6:33b)と言われた内容だからです。

神様が、あえてすぐに祈りに答えられないことで、私は神だけを頼り、神だけに心が向かいます。

必要なギリギリであったとしても、神様は与えて下さることによって、「あー、やっぱり神様が必要を満たして下さるんだ」と、心底実感することで、「神様だけを頼りなさい!」と説教できる牧師になれるのです。

通常は、必要があっても人に話すことはありません。具体的に話すことで、人に「どうか助けて下さい」ということになるからです。

もちろん、神様は、お金を持っている人に頭を下げて支援を求めるように導かれることもありますが、ただ「神様、助けて下さい!」と祈ることで、人を通して助けられたとしても、「あー、神様は生きておられる。今回も私を助けて下さった!」と、感謝でき、信仰を強めることができるからです。

今回書いたのは、神様を信じ、神様と共に歩むことがどんな人生なのかを伝えるために書きました。

みなさん、神様は、神だけを頼る人になってもらいたいので、あえて試練を与えられることを覚えて下さい。

試練とは、神様があえて助けない状況のことです。それは、実に奇跡なのです。

何でも出来る神様が、あえて助けないことは、即座に助けるよりも、はるかに難しいはずです。

しかし、あえて助けないことで、神様を頼ることになり、神様と親しくなれますし、神様が必要を満たして下さることを体験することで、神への信仰が深まり、強められるのです。

私の友人の中には、夫婦関係が壊れて、離婚の危機に置かれている人が居ます。

私の友人の中には、一年前には健康だったのに、急に下半身が麻痺して、小便も自分の力でできなくなった人が居ます。

私の友人の中には、ガンに犯されて、戦っている人が数人います。

私の友人の中には、経済的に困っている人がたくさん居ます。

みなさんも、困っている何かの問題を抱えているのではないかと思います。

神様に祈って、神様に助けを求めて下さい。その際、真剣に、切実に、心から信頼して祈って下さい。

神様がすぐに祈りに答えて下さることもありますが、ギリギリまで助けて下さらないこともあります。

すぐに答えられるのも、すぐに答えて下さらなくて、ギリギリまで助けて下さらないことも、すべて神様の深いみむねがあります。

神様は生きておられます。

神を信じ、神と共に歩んで下さい。

午後も素敵な時間でありますように。

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