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2016年02月22日18:23

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「一日一シャ〈謝と捨と洒と写〉【322】 2016/2/22(月) 動機とプロセスと目的」

http://9001.teacup.com/sfk/bbs/16380 (写真入り記事)

一昨日、スマホを見ながら歩いていると、道路のくぼみに足を取られて足をくじき、捻挫してしまったことで、今週予定していた出張しての宣教旅行を中止することになりました。

今日辺りはだいぶ回復しましたが、土曜日は、貧血でくらくらし、精神的にもダメージを受けていました。おそらく、前を向いて歩いていたなら、ダメージは軽かったと思います。

出張を中止したことで、急に時間のゆとりができました。

今日は、先日印刷機の展示会で、二番目に安い印刷機の成約をしましたが、今日は、契約書に3種類の印鑑を押しました。近々納品されます。

お昼前には、近日中にやるべきだった仕事をしていました。

携帯電話が鳴りました。人生の大先輩からですが、「突然で申し訳ないけれど、ランチを食べながら一緒に語り合いたいんだけど・・・」と申し出がありました。

手をつけていた仕事があったため、1時間半後に合うことにしました。

ステーキ丼を食べながら、気がついたら4時間半もの間、信仰について語り合いました。

本音で語り合える人はそう多くはありません。とても有意義な時間を過ごしました。

お互いに語り合ったことの結論は、「動機とプロセスと目的が大切だよね」ということでした。

世の中は成果がすべてです。しかし、信仰の世界では、成果は一つの結果に過ぎません。

「終わり良ければすべて良し」と言われますが、仮に、良い成果が出たとしても、動機やプロセスや目的がずれていたり、不純であるなら的外れです。

純粋な愛を動機とし、神の導きに従いながら一歩一歩歩むというプロセスを経て、神の栄光を現すという目的のために生きていくことが大切です。

今日は、思いがけず、このようなゆったりと食事をしながら心を通わす時間が持てたことは神様の導きだと感じます。この時間のために足をくじくことを主が許されたと感じるくらいです。

動機とプロセスと目的は、盲点であり、見落とされやすいことです。それは、クリスチャンであっても、牧師であってもです。

動機が野心や野望で、プロセスを度外視して「結果がすべて」と考え、自己保身や成功を目的として生きてしまうことがあります。

小さなずれに気づき、悔い改めて修正していくならば、心は小さなずれに対してますます敏感になります。

しかし、小さなずれに気づいても、気づかいない振りをしたり、見て見ない振りをするならば、心を刺す良心のとげは削られて先が丸くなり、心が鈍感になってしまいますので、何も問題を感じなくなってしまいます。

聖書が教える罪とは、「的外れ」のことです。

つまり、神様と、動機とプロセスと目的がずれた状態です。これが、段々大きなずれとなり、犯罪や肉の行いとなって現れることになります。

神様との関係で必要なことは、従うことです。

神様の声は、時にささやくような小さな声です。その小さな声に耳を傾けて従うならば、ますます神様の声が聞こえるようになります。

しかし、神様の声を無視したり、黙殺し続けているなら、聖書に明確に書かれているのに、何がずれていているのかさえ気づかなくなってしまいます。

「これくらいのことは誰でもやってる」「誰も見ていないから」「一度だけ」「今日で最後にするから」と、神の声に従わないならば、大きく道を踏み外してしまいます。

「きょう、もし御声を聞くなら、メリバでのときのように、荒野のマサでの日のように、あなたがたの心をかたくなにしてはならない。」(詩篇95:7〜8)

「きょう、もし御声を聞くならば、荒野での試みの日に御怒りを引き起こしたときのように、心をかたくなにしてはならない。」(ヘブル3:7〜8)

一日お疲れさまでした。

主の声を聞いて下さい。主の声を聞いたら生きます。

「まことに、まことに、あなたがたに告げます。死人が神の子の声を聞く時が来ます。今がその時です。そして、聞く者は生きるのです。」(ヨハネ5:25)

また明日お会いしましょう。

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