http://9001.teacup.com/sfk/bbs/16356 (写真入り記事)
今日は、建国記念の日で国民の休日でした。私にとってはいつもと変わらない一日ですが、子どもたちは学校が休みなので、家がにぎやかでした。
建国記念の日は、「建国された日」ではなく、「建国を記念する日」です。日本の歴史はとても古く、正確には理解できないのが現実です。
旧石器時代、縄文時代、弥生時代、古墳時代、飛鳥時代、奈良時代、平安時代、鎌倉時代、南北朝時代、室町時代、戦国時代、安土桃山時代、江戸時代、明治時代、大正時代、昭和時代、そして、現在の平成の時代と、歴史は刻まれています。
聖書を調べると、世界の歴史を約6000年であると推察できます。しかし、聖書を信じないで、進化論を土台とした歴史は、果てしなく長い約46億年と推定されています。
私は、どちらが正しいか?を論ずる前に、世界には、上記のような2つの世界観があることを同じ土俵の上で紹介される必要があると思います。
私は、子供の頃から聖書を知っていました。学校の教科書の人類の進化の絵と説明を見て、「おやっ?」と思いました。
聖書は、「神が人を創造された」と書かれているのに、学校の教科書はまったく別の事を教えているからです。
私の場合、2つの世界観を、同じ土俵ではないにしても、知ることができたので幸いでした。
「私の祖先は猿である」というのと、「私は神に造られた」というのでは、自己に対するイメージは全く変わってしまいます。
最近、インターネットで、「可愛いおてて(Que linda manito/ケ・リンダ・マニート)」という南米で歌われる子守唄が紹介されて話題になっています。
"私のおてての可愛いこと
神様がくれた白いおてて
私のおめめの可愛いこと
神様がくれた黒いおめめ
私のおくちの可愛いこと
神様がくれた赤いおくち
私のあんよの可愛いこと
神様がくれたむちむちあし"
赤ちゃんの各パーツのそれぞれを「可愛い!」と褒め称え、「全てが神様のプレゼントだよ!」という歌詞は、どれだけ大きな自己肯定意識を埋め込むでしょうか。
これを聞いて、「ほめ過ぎたら自信過剰になったり、勘違いするようにならないの?」という声が必ず出ます。
しかし、謙遜が美徳とされる日本では、南米の人の明るさや楽観さは、根拠がない自身であると感じるかも知れませんが、私たちが、神に造られた存在であることを前提と考えたら、健全で正しい自己認識を持たせることになります。
聖書は、人は神に似た素晴らしい存在として造られたと語ります。
そうであるなら、人は素晴らしい存在なのです。
では、聖書が、人は罪人であると教えるのはなぜでしょうか?
最初は素晴らしい存在であった人間に、後から罪が入り、死が入ったとしたならば、罪は病気のようなものです。
しかも、私たちがあずかり知らないところで罪は全人類を汚染するようになったのです。
だって、私やみなさんが罪を犯した覚えはないのです。犯したのは、先祖のアダムとエバです。
神は、私たちがあずかり知らないところで罪が犯され、罪人という病人になってしまったんと同じように、神は、私たちがあずかり知らないところで、一人子イエス様によって罪を購って下さいました。
イエス様を信じるとは、罪という不治の病の特効薬を受け取り、それを飲むことです。
イエス様は、「まことに、まことに、あなたがたに告げます。信じる者は永遠のいのちを持ちます。わたしはいのちのパンです。」(ヨハネ6:47〜48)と語りました。
今日、「信じる者は永遠のいのちを持ちます」と語られたイエス様を信じるなら、「いのちのパン」を食べることになり、罪がいやされ、永遠のいのちを持つことができます。
私は、日本という長い歴史を持つ国に生まれたことを神に感謝しています。
日本を造られたのは神だと信じます。
そして、私を造られたのは神だと信じます。
さらに、みなさんを造られたのは神だと信じます。
神が造られたものはみな素晴らしいものです。しかし、罪に汚染され、罪という病にかかっています。
それは不治の病であり、死のトゲです。
唯一の解決は、イエス様にあります。イエス様を信じたら、罪はいやされ、素晴らしさを回復できます。
私は、この日本で、2つの世界観が同じ土俵の上で教えられ、一人一人が選択できるようになることを願い、祈ります。
建国記念日に、この国のルーツとあり方、私たちのルーツとあり方について考えました。
私は、一日教会で仕事をしました。これから、ギターを抱えて祈祷会に出かけます。
日本の未来の祝福、日本に住む一人一人の祝福、日本の政治と経済のため、様々な課題のためにお祈り致します。
アフター5も祝福された時間でありますように。ゆっくりお休み下さい。
また明日お会いしましょう。
ログインしてコメントを確認・投稿する