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2016年02月10日16:17

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きょうのWikipedia:マルコ・ルビオ

共和党主流派の候補、マルコ・ルビオです。それにしても安倍さん、腰が低いですね。笑

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引用開始>マルコ・アントニオ・ルビオ(Marco Antonio Rubio、1971年5月28日 - )は、アメリカ合衆国フロリダ州マイアミ出身の政治家、フロリダ州弁護士。所属政党は共和党。両親はキューバからの移民で、宗教はカトリック。
目次 [非表示]
1 生い立ち
2 フロリダ州下院議員
3 合衆国上院議員
3.1 選挙戦
3.2 国内政策
3.3 外交政策
4 大統領選挙
4.1 2012年
4.2 2016年
5 家族
6 著書
7 脚注
8 外部リンク
生い立ち[編集]
1971年、フロリダ州マイアミで、父マリオ・ルビオ・レイナと母オリア・(旧姓ガルシア)ルビオの三男として生まれる。彼の兄と姉妹は兄にキューバ生まれのマリオ・ヴィクター、姉にバーバラ(1987年に逮捕された元麻薬密輸グループの一員でもあったオーランド・シシリアと1980年に結婚している)、妹にヴェロニカ(プエルトリコ出身の歌手・俳優のカルロス・ポンセと結婚)である。両親はフィデル・カストロがキューバ革命起こす以前の1956年5月18日に貧しい生活から抜け出し、豊かな生活を求めてキューバのハバナにあるアメリカ領事館に駆け込み、キューバから経済移民としてアメリカに移民したキューバ人であり、家庭やキューバ人社会ではスペイン語が母語のため、幼少時よりスペイン語に堪能だった。両親のキューバでの子供時代は貧しく、父親は学校を途中で辞めて仕事をしていた為、読み書きを学んでいなかった。その為アメリカに来た時、小学校教育を持つ、勤勉な人々は彼らの子供の施設、車と大学を持っている余裕があると思い、この国なら機会があると希望を持っていたと言う。両親は当初、英語が中々話せず苦労しながら子供を育て、1975年にアメリカ市民権を取得している[1]。母オリアは1961年に一時キューバに帰国しており、この時キューバは革命によりフィデル・カストロ政権による共産主義化に進んでいて、病んでいる母の父ペドロ・ヴィクター・ガルシアを説得してアメリカに連れて行く為である。母方の祖父ペドロ・ヴィクター・ガルシアは1956年にアメリカに移民するが、1959年にキューバに帰国し、1962年にビザなしでアメリカに入国したため、入国管理局によって拘留されている[2][3]。移民裁判官はペドロに強制送還を命じたが、最終的には彼がビザなしでアメリカに残れるように配慮した[2]。
両親と幼い兄と祖父ペドロ・ヴィクター・ガルシアはアメリカに来た当初は、低所得層向けの公営団地に引っ越して住み、夫婦共働きで工場で働いていたが、後に父マリオは小学校の学童擁護員やラスベガスのカジノでバーテンダー、母オリアは小さなマーケットでのレジ打ちやウェイトレスやホテルのメイドなどで働き、両親の仕事の関係で一時ネバダ州ラスベガスに移る。ルビオ家はカトリック教徒だが、ラスベガス在住時の8歳の時、末日聖徒イエス・キリスト教会(モルモン教)の教会にも出席し洗礼も受けた[4]が、1984年に家族全員、再びカトリックに戻っている[5][6] 。フロリダに戻ったルビオは南フロリダ高校に入学し、1989年に卒業。卒業後は1年間フットボール奨学金を利用して、ミズーリ州のターキオカレッジに通った後、フロリダ大学を卒業。更に1996年にマイアミ大学で法務博士の学位を取得した[7][8]。なおルビオはロースクール修了までに10万ドルの教育ローンを抱えており、2012年にようやく返済を終えたという[9]。
フロリダ州下院議員[編集]

下院議長時代のルビオ
マイアミ大学在学中にイリアナ・ロス・レイティネン下院議員の実習生を務め、これがルビオが政界と接点を持つきっかけになり[10]、1996年アメリカ合衆国大統領選挙ではボブ・ドール上院議員の選挙スタッフとして活動した[11][12]。
卒業後、ウェストマイアミ市の執行委員長を経て[12]、1999年にフロリダ州下院選に立候補し、共和党予備選では64票差で候補者に選出された[13]。2000年の本選挙では72%の得票を獲得し、民主党のアナスタシア・ガルシアを破り当選した[14]。
当選後は2009年まで再選され、2002年12月には院内総務に就任した[15][16]。デニス・K・バックスレイ(英語版)、ジェフ・コットカンプ(英語版)、デニス・A・ロス(英語版)ら共和党の有力議員が引退するとフロリダ州共和党議員の実力者となり、2007年にはキューバ系アメリカ人として初の下院議長に就任し、2009年まで務めた[17]。

2007年4月4日、バックスレイとルビオ
2006年に『フロリダ州の未来の為の革新的な100のアイデア(100 Innovative Ideas for Florida's Future) 』という本を出版。この本はフロリダ州内をタウンホールミーティングで意見を聞きながら旅した時の、フロリダ州民が考えた社会問題や税制改革、犯罪問題、貿易、経済、エネルギー、ヘルスケア、家族や子供、福祉と貧困、教育など100に及ぶアイデアを編集した本で、ルビオはアイデアリストを確立するために"Idearaising"と呼んだ[18]。
2007年から2008年の2年間でルビオの熱心な働き掛けにより、この100のアイデアはフロリダ州下院議会を通過し、その内57のアイデアが可決され、フロリダ州の州法として署名させることに成功した。この成功により、他の共和党議員らが本のアイデアに注目し、ニュート・ギングリッチはルビオの成功を「天才の仕事」と呼び100のアイデアを絶賛して促進する宣伝文を書いた他、フロリダ州知事ジェブ・ブッシュもこの本を購入して引用した。
下院議長在任中、デビッド・リベラ(英語版)下院議員と住居を共有しており、住宅ローンの支払いが数カ月間滞ったため差し押さえられた。2010年の合衆国上院議員選挙時に問題視されるが、ルビオのスポークスマンは「ローンは既に支払ってある」として問題は解決済みとコメントしている[19]。
合衆国上院議員[編集]
選挙戦[編集]
2009年5月5日、ルビオと同じヒスパニックであるメル・マルティネス(英語版)上院議員の引退宣言により上院選への出馬を宣言し、発表に先立ちフロリダ州の支持者に対し資金調達を行った[20]。

2011年2月23日、ルビオとヒスパニック系共和党議員
当初は、副大統領候補にも一時名前が挙がったフロリダ州知事のチャーリー・クリストの出馬宣言で泡沫候補と見られていた[21]が、クリストがバラク・オバマ大統領の政策に融和的なことから、ジム・デミント上院議員[22]やマイク・ハッカビー前アーカンソー州知事[23]らがルビオを支持、2010年に入るとクリストを20ポイントリードした[24]。
共和党の公認候補は8月に実施される予備選で決定されるが、形勢不利と見たクリストは4月28日、共和党を離党し無所属に転じた[25]。クリストは離党後、8月までは選挙戦を優位に進めるものの、それ以降はクリスト寄りだった地方議員の抱きこみに成功したルビオが逆転し、選挙戦終盤には支持率を50%にまで拡大させた[26]。 11月2日の本選挙で49%の得票を獲得、29%に止まったクリスト、20%の民主党・ケンドリック・ミークを破って当選した[27]。
上院選での大差を付けた当選により、ルビオは周囲から次期大統領候補として期待を集めるようになった[28][29]。また、財政・社会問題に対し保守的な立場をとり、ティーパーティー運動から支持を集めており、「ティーパーティー運動のプリンス」と呼ばれている[30][31]。
国内政策[編集]

2015年2月26日、ワシントンD.C.で講演するルビオ
[icon] この節の加筆が望まれています。
自由貿易・グローバル資本主義の促進
不法移民の合法化
小さな政府と新自由主義を支持
強姦や近親相姦によるものも含めた人工妊娠中絶に反対
LGBT(同性愛・性的少数派)の権利確立への反対
銃規制に反対
最低賃金の引き上げ反対
マリファナ合法化に反対。医療大麻の使用は容認。
2011年11月、クリス・クーンズ(英語版)上院議員と共同で法人減税に関する法案を提出。法案では研究開発・設備投資を行う企業への減税や、事業を始める退役軍人への税額免除を掲げた[32]。
2012年に党として原則を維持するため、財政の崖の決議案に反対した。反対したことで批判を受けたルビオは、「未だ不況にある中小企業は、この新しい法案を受け入れるか、新しい従業員を雇うのを止めるかの選択を迫られている。この法案は、彼らにとって何の役にも立たない」と反論している[33]。
2013年1月、ヒスパニック系有権者の共和党離れを防ぐために共和党は移民改革法(DREAM法)に妥協するべきだと主張し、移民改革の計画を提案した[34]。これは罰金、追徴課税、履歴・経歴調査及び試験採用期間として法的地位を得るための一連のステップなど含んだ、アメリカで暮らす不法移民に市民権を企図していた[35]。
3月14日、保守政治活動協議会(英語版)(CPAC)の講演で、同性結婚に反対の立場を表明した[36][37]。
4月17日、銃の購入に際し、購入者の経歴確認を厳格化する法案に反対票を投じた[38]。
7月、ベン・カルダン(英語版)上院議員と共同で外国援助に対する説明責任法案を提出した。法案では指定された指標に基き、外国への援助計画の実効性についてアメリカ政府が報告する義務を負うとした[39]。
2015年3月4日、マイク・リー上院議員と共同で税制改革法案を公表した。法案では多国籍企業への減税、法人税の引き下げ、子供を持つ家庭への税還付額の増額などを掲げた反面、高齢者支援や医療関連の支出については、財政赤字を理由に削減するとした[40]。
外交政策[編集]

2014年1月21日、横須賀基地のシャイローを視察するルビオ
[icon] この節の加筆が望まれています。
イランへの経済制裁を維持し、場合によってはイランへの軍事侵攻の可能性を保持
キューバとの融和路線に反対
グアンタナモ湾収容キャンプの存続に賛成
ルビオの外交政策はタカ派とされ、ネオコンとのつながりがあるとされる。つまり、積極的に米国・米軍が対外政策に介入するべきであるとの立場を取っており、特にイラン・ロシア・北朝鮮の脅威に対する厳しい姿勢を主張している。しかしながら、2013年にはシリアへの空爆には共和党議員の中ではランド・ポール議員と共に反対する姿勢も見せているなど、米国の軍事介入には限定的であるべきだと慎重な姿勢も持つ側面もある。
2011年11月、アメリカを訪問したチベット亡命政府のロブサン・センゲ首相と会談。2012年3月15日に、上院議会で中国のチベット人弾圧を批判し、「自国の人権を無視する国は、他国の人権も尊重しない」と演説し、中国の人権問題を批判した[41]。
2014年1月21日、日本の安倍晋三内閣総理大臣を表敬訪問し、自衛隊・安全保障体制の強化の取り組みに支持を表明した[42][43]。
2月に勃発した2014年クリミア危機を契機に、ロシアのエネルギー戦略の影響力を除くため、ヨーロッパ諸国への天然ガス輸出を促進することを主張している[44]。
7月、日中間で発生していた尖閣諸島防空識別圏問題に対し、中国を「国際協定を無視し、アジア太平洋地域を混乱させるもの」として批判。他の議員と共に中国への非難決議案を共同提出し、7月10日に全会一致で可決される[45]。
12月、オバマ政権がキューバとの国交正常化交渉を開始したことに反対し、キューバ人スパイを釈放したことについて「危険な先例を作ることになる」と批判している[46]。また、キューバへの禁輸措置の撤廃に向けた法改正を「あらゆる手段を行使して阻止する」としている[47]。
2015年4月15日、オバマ政権がイランの核開発問題が合意した場合に、内容を検証する権限を議会に付与する法案の修正に合意した。修正合意に対し、イスラエルの立場を支持する内容に修正するとした[48]。
大統領選挙[編集]
2012年[編集]
2012年アメリカ合衆国大統領選挙の共和党予備選では中立的な立場だったが、2012年3月30日に正式にミット・ロムニー候補を支持表明した。ルビオは副大統領候補として最有力視されている内の1人であり、中南米系の支持を集められると見られていたが、6月の時点で候補から外れたと報道され[49][50]、最終的にロムニーはルビオではなくポール・ライアンを副大統領候補に選んだ。
2016年[編集]

2015年5月9日、フリーダム・サミットで演説するルビオ
2016年アメリカ合衆国大統領選挙の出馬に向け、移民改革法を巡り対立したティーパーティー運動との関係改善を模索し、同運動の有力者デミント元上院議員との関係を修復した[51]。
「2016年アメリカ合衆国大統領共和党予備選挙」も参照
2015年1月、大統領選挙への出馬に向けて資金調達担当者を任命し[52]、4月13日に出馬を正式に表明した[53]。フロリダのフリーダム・タワーで開催した出馬表明演説会では、ロシア・中国に対する宥和外交の転換を訴え、民主党から立候補を表明したヒラリー・クリントンを「過去のリーダーが、過去に連れ戻すための選挙を始めた」と批判した[54]。
5月13日、ニューヨークで開かれた外交会議で、中国・イランを念頭に南シナ海やホルムズ海峡の通商を妨害する行為に対し「私の率いる政権が必ず対抗するだろう」と述べ、国防予算を優先するべきと主張した[55]。
8月28日、サウスカロライナ州で演説し、尖閣諸島について「我々の同盟国、日本の領土だ」と明言した[56]。この時点でアメリカ政府は、尖閣諸島が日米安保条約適用範囲内にあることは認めているが、領有権の帰属に関しては中立の立場をとっており[57]、ルビオの発言は一歩踏み込んだ発言となっている[58]。
12月29日、下院共和党の有力議員トレイ・ガウディの支持を取り付けた[59]。23日時点における支持率はベン・カーソンと並び10%を獲得し、共和党候補者内で第3位となっている[60]。
家族[編集]
1998年に銀行員でマイアミ・ドルフィンズのチアリーダーをしていたジャネット・ドゥスデベスと結婚し、アマンダ・ローレン、ダニエラ、アンソニー、ドミニクの4人の子供をもうけた[61][62]。
父はマリオ・ルビオ・レイナ、母はオリア・ガルシア・ルビオ。ルビオの母方の祖先にスペインからキューバに移住したカルロス・ペ・レズとラモーナ・ガルシアで、その息子でマルコ・ルビオの祖父がペドロ・ヴィクター・ガルシア。父方の祖父アントニオ・ルビオと祖母エロイーザ・レイナ・ルビオには7人の子ともがおり、父マリオはその1人だった。父方の祖父と祖母は共にキューバのハバナで亡くなっている。
兄はキューバ生まれのマリオ・ヴィクター・ルビオ、姉はバーバラ・ルビオ・シシリア、妹にヴェロニカ・ルビオ・ポンセ。
キューバ生まれの兄のマリオ・ヴィクターは1956年の6歳の時に、両親に連れられてキューバからアメリカに移民した息子であった。
姉のバーバラは1980年にオーランド・シシリアと結婚するが、彼は1970年代から1980年代にコカインやマリファナをフロリダに密輸するグループのメンバーであった。結婚後、姉のバーバラは夫が薬物を密輸する仕事をしていたとは知らなかったと言う。姉の夫としてルビオの家族にも紹介されている。1987年に姉バーバラの夫が麻薬取締局に自宅で強制逮捕され家宅捜査された時、マルコ・ルビオは16歳の高校生であった。母親に姉バーバラの夫が逮捕されたと母親の苦悩を聞いたマルコ・ルビオは南フロリダ高校から急いで家に帰宅してその事を知ったと言う。姉の夫オーランド・シシリアは翌年の裁判で麻薬密輸の罪で懲役25年(後に懲役20年に軽減されている)の有罪判決を受け刑務所に入る事となる。この事件でルビオ一家は彼を拒否する様になるが、姉は離婚せず、夫が刑務所に服役後も彼を支え続け、釈放され自由になった後も結婚したままで一緒にいる。釈放され自由になった後、姉の夫は薬物の密輸業とは縁を切って、妻であるマルコ・ルビオの姉と現在でも一緒に暮らしており、彼は2002年に家族の一員としてルビオ家に認められている。弟のマルコ・ルビオはフロリダの上院議員の時、姉の夫シシリアにフロリダの不動産ライセンスを推薦する手紙を書いたが、過去の犯罪歴がある姉の夫が自分の義理の兄弟であると言う事に関しては言及する事はなかった。姉の夫シシリアはフロリダで不動産ライセンスを持つ事を許諾されている。
妹のヴェロニカは高校生の時、恋人であったプエルトリコ出身の歌手・俳優のカルロス・ポンセと結婚し、4人の子供をもうけたが、2010年に離婚した。
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