http://9001.teacup.com/sfk/bbs/16352 (写真入り記事)
日曜日の礼拝の時に語る説教に一番多くの力を注いでいます。
牧師になって十数年が経ち、だいぶ説教準備には慣れましたが、それでも、祈り苦闘し、心血を注ぎ出し、生きるか死ぬかのような戦いを経て完成します。
それは、神様との共同作業であり、聖書の言葉を料理する前に、聖書の言葉によって私自身が切り刻まれ、死に、料理されるプロセスを経ます。
成功哲学による自己実現と丁度反対です。自己にキリストと共に死に、キリストと共に復活し、私の中で神実現されることだからです。
今日は、久しぶりに一日説教準備をしていました。途中何度も挫折しかけました。
行き詰った時には、
�� そのまま準備を続ける
�� 仮眠を取る
�� ピアノを弾いたり、ギターを弾きながら神を賛美する
�� 膝をかがめて祈る
�� おやつを食べたり、気分転換する
行き詰っても、そのまま準備を続けていると、神様との共同作業ですので、急に突破口が与えられ、十字架の向こうの復活を体験し、流れがガラッと変わることもあります。
しかし、いろいろな方法がありますが、行き詰ったら仮眠を取るのが一番です。
私の恩師は、たくさんの本を執筆し、著書を世に現しました。ある日、「先生、どうしたらそんなにたくさんの本を執筆できるんですか?」と聞いてみました。「それはね、昼寝することだよ」と言われました。
当時は、半分冗談のように思いましたが、今はわかります。
説教の準備が行き詰った時、パソコンの電源を落として、昼寝をして、しばらくして目を覚まして、再びパソコンに向かうと、リフレッシュされて、説教の準備が嘘のようにはかどります。
今日は、昨日の疲れも引きずっていたので、朝の一通りの仕事を終えてから、少し休みました。
しかし、目が覚めた後もぼやーっとして、全然はかどりませんでした。
そう、お腹が空いていたのです。昨日は、疲れがあり、お腹に優しい食事を少量しか食べなかったため、お腹がぺこぺこでした。
通常は、説教準備中は断食状態です。終わるまで食事をしませんが、今日は、妻にキムチチゲを作ってもらって、ご飯と一緒にそれを食べました。
しかし、食後も調子は戻りませんでした。
いろいろな気分転換をしてもダメなので、何度も説教する聖書箇所を読みました。また読み、また読み返し、さらに読みました。
そうしたらどうでしょう。力が湧いてきました。
説教は作るものではありません。与えられるものです。
私の心と頭の中が整理されて、準備が進むようになりました。
たくさんの時間がかかりましたが、説教の準備が先ほど終わりました。
女性であれば、子どもを身ごもって、産むプロセスに似ているかも知れません。大げさな話ですが、もしかしたら、もっと大変かも知れません。
ある牧師先生が、毎週の説教に苦労しているので、奥さんが、「あなた、何そんなに苦労をしているんですか?私が子どもを産むより、説教準備の方が楽だと思いますよ」と言いました。
牧師は、「君は、あるものを産み出すだけだけど、僕は、ないものを産み出さなければいけないんだから・・・」と言ったそうです。わかるような気がします。
説教が準備が終わった後、大きな大きな勝利を勝ち取ったという感じがします。もう何の力も残っていないほどです。
しかし、毎日二回の投稿をインターネットを通して行っていますが、これは小さな勝利ですが、短時間で書きますので、それなりに戦いがあります。
しかし、この毎日文章を書くという小さな勝利を得ていることで、説教準備という大きな勝利も得やすくなっています。
私は、家庭集会などの少数の聴衆の前で説教する機会が多くあります。また、少数の会衆の前でギターやピアノの演奏をしたり、歌を歌ったり、祈りを導くことがあります。
これは、人数が少ないので小さな働きのようですが、そんなことはありません。10人を前に、100人や1000人を前にしているのと同じ気持ちでやっています。
だから、大きな大会で説教を依頼されたり、音楽ゲストで招かれたとしても、舞い上がりません。いつもと同じようにやるだけです。
小さな勝利が大きな勝利につながっています。
イエス様は、「小さい事に忠実な人は、大きい事にも忠実であり、小さい事に不忠実な人は、大きい事にも不忠実です。」(ルカ16:10)と教えられました。
毎日の目の前にあることに対して、それを小さな事として蔑むことなく、忠実に、真剣に行って下さい。それが、大きな事をよくやることにつながるのです。
一日お疲れさまでした。ゆっくりお休み下さい。
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