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2015年12月21日01:23

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河豚計画

目からウロコの体験を味わう実在の人物の逸話…『わたしはマララ』『ザ・ウォーク』ほか
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=25&from=diary&id=3765249

過日、映画 「 杉原千畝 〜Persona non grata〜 」を見に行く。



杉原千畝はシンドラーのリスト公開以降ここ、十数年急激に認知度が増した人物だ。
映画自体は、、嘘ではないが、あまりにも前半戦007化していた。
一緒に行ったリトアニア人はもっと母国が映ると思いワクテカしながら行ったが
殆どが、ポーランドロケで俳優もポーランド人とユダヤ人なので少しガカーリしていたw
それでもラストは、グスグス鼻を鳴らしもらい泣きしていたので良い映画だったのだろう。

映画も日本語以外は全て英語でドイツ人もロシア人も英語で喋っていた。
分り易いのだが、少々興ざめである。

杉原千畝という人は、日本外交史上1,2を争うロシア語の達人で、同じノンキャリである
後の外務省のラスプーチンと異名をとる佐藤優なぞ足元にも及ばないロシア語の使い手が
ロシア人スパイ相手に英語で喋ってるのはやはり笑うしかないw

杉原千畝は現在で言う外務省中級試験の合格者で、5族協和の満州国で
直接白系ロシア人からロシア語を習い、ネイティブ級スピーカーになった人で、
日本では早稲田に通いながら神田御茶ノ水ニコライ堂の付設ニコライ学院で学んだ人だった。

その後、満州国外交部に出向して満鉄のためにシベリア鉄道の一部を買い取る交渉を
していた。その交渉の前段階で多少スパイまがいのこともしたのだという。

本来は、その後駐ソモスクワ大使付き一等通訳官として赴任する予定が、上記の活動が
禍して、日本外交史上初めての『 Persona non grata 』 
※着任拒否、好ましからざる人間第一号を喰らい、泣く泣く、リトアニアで領事代理になった。

これまた、事実上リトアニア領事としては第一号である。
そこでも、本来は、防共間諜が主たる任務で、駐ベルリンの大島浩武官と政策で
やりあうなんてもってのほかで。大島浩という人は日独伊軍事同盟の立役者で
ゲッベルスやヘスをして、ナチス以上のナチス日本人!と驚嘆せしめた人であるw
当時日本人で唯一ノーアポでヒトラーに会えた人物である。

かなり、最近は杉原千畝も神格化され、キャラが一人歩きしてると感じた。

戦中は、その後欧州の各大使館を転々として、最後はルーマニア大使館付き
2等書記官で終わった。

戦後は、ヴィザ発給の件が祟って、外務省をクビになったとされていたが、、、
それは嘘で
戦後〜1953年のサンフランシスコ条約まで各国の大使館、領事館は閉鎖され、
外務省内では杉原のような現場叩き上げのノンキャリは不要とされ、
真っ先にリストラされたためだったのだ。




もう一つ疑問が残る。

確かに、通過ヴィザを発給して、6000名のユダヤ人の人命を救った行為は
人道上素晴らしいこういなのだが、果たして1ペーペーのノンキャリ領事代理が
通過ビザとはいえ、紙切れに書き飛ばした発給ヴィザで、どうしてウラジオストックや
敦賀の入管でSTOPされなかったのか?と、いう点である。


VISAは発給し放しで、本国に連絡を取らない、了承をとらないなんて訳は無く、
それでは、本来のVISA自体の意味すらないのである。

巷間、あたかも孤軍奮闘したように伝えられる杉原千畝であるが、
彼の「スタンド・プレイ」を助けたバックグラウンドが
当時日本にあったという点に眼を向けねばならないと思う。


【河豚計画】

1930年代に日本で進められた、ユダヤ難民の移住計画である。
1934年に鮎川義介が提唱した計画に始まるとされ、1938年の五相会議で政府の方針として定まった。
実務面では、陸軍大佐安江仙弘、海軍大佐犬塚惟重らが主導した。ヨーロッパでの迫害から逃れたユダヤ人を満州国に招き入れ、自治区を建設する計画であったが、ユダヤ人迫害を推進するドイツのナチス党との友好を深めるにつれて形骸化し、日独伊三国軍事同盟の締結や日独ともに対外戦争を開始したことによって実現性が無くなり頓挫した。

満州国の経済力強化とともに米国に存在するユダヤ人を通じて米国との融和を図り
また、当時まだ日露戦費の借金返済にあえぐ日本としては、貸し元たる、クーン・ローブ商会
その社主であるユダヤ人・ジェイコブ・シフとその金主、ロスチャイルド等のユダヤ資本の
歓心を惹こうとしたのが狙いとされる。

因みに、ジェイコブ・シフの会社クーンローブ商会の成れの果てが5年前消滅した
サブプライムローンの『 リーマン・ブラザース 』である。

「河豚計画」の名は、1938年7月に行われた犬塚大佐の演説に由来する。
ユダヤ人の経済力や政治力を評価した犬塚は、「ユダヤ人の受け入れは日本にとって非常に有益だが、一歩間違えば破滅の引き金ともなりうる」と考えた。犬塚はこの二面性を、美味だが猛毒を持つ河豚に擬えて、「これは河豚を料理するようなものだ」と語った。

のちに、日本通として知られるアメリカ人ラビのマーヴィン・トケイヤーが同計画に関する研究書を執筆した際に、この喩えを借りて『河豚計画(The Fugu Plan)』と題したことから、「河豚計画」と通称する。ただし同書によれば、この語は当時も非公式に使われていたという。




杉原と同じく、6,000名以上のユダヤ人を救った人物も実際いる。
樋口季一郎少将である。

当時、ポグロム(大虐殺)を逃れたウクライナのユダヤ人を一箇所に
集め、シベリア開発に使おうとしてスターリンは現在のハバロフスクの隣に
ピロビジャンというユダヤ人自治国を作ったが、あまりの寒さと激務に耐えかね
国民は大脱走w 当時の満州国との国境に押し寄せた。
現在のトルコ・シリア国境のシリア人難民のような状況であるが、事態はさらに
切迫していた。もうすぐ厳冬期が来る。キャンプしてる難民が凍死するのは
火を見るよりも明らかであった。





杉原千畝の美談を眼にするとき、その背後に名も知れぬ
多くの日本人たちが背後で組織だった支援をした事を忘れてはならない。

それは、現在では、悪名高い関東軍特務機関だったり、日本交通公社だったり
いろんなところにいた名も無き日本人である。

お鍋のシーズンとなり、河豚鍋をつつく時、かって日本には
『 河豚計画 』というものが存在し、それを計画、実行した日本人も
いたということを忘れないでいただきたい。

杉原千畝の美談も末端のその一環に過ぎなかったことを。





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