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2015年11月29日23:36

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「一日一シャ〈謝と捨と洒と写〉【236】 2015/11/29(日) 『一長一短』と『一長一短では割り切れないもの』」

http://9001.teacup.com/sfk/bbs/16194 (写真入り記事)

最近、メインで使っているパソコンのOSをWindows7からWindows10にアップグレードしました。しばらく使っているうちに、特性の違いがわかるようになり、いつの間にか慣れました。

Windows10は、Windows7に比べていくつもの優れた点がありますが、マイナスの面もあります。

�� DVD再生が有料になった
�� 生放送のstickamの映像が映らなくなった
�� 生放送のニコニコ動画の音声が出なくなった

その他は問題ありませんが、困ったなーと思っています。何か、良い解決策を知っている人がいたら教えて下さい。

物事には、一長あれば、同時に、一短があるものです。

私は、教会で1:1の信仰相談やカウンセリングをすることを大切にしています。必要なことのすべてを具体的に伝えることができるからです。

しかし、全会衆が集まる礼拝で語る説教も同時に大切にしています。1:1ではピンポンをするように話しますが、全会衆に向かって語る説教では、ダイナミックに聖書を語ることができるからです。

伝道をしたり、聖書を語る上でも、1:1と1:全体のそれぞれに一長一短があります。

今日は、礼拝の後に、3人の方とそれぞれ1:1での話をしました。その中の1人の人は、礼拝が終わってから、「相談があるんですけど・・・」と入って来られました。

他の2人は、朝の礼拝後と夕の礼拝後のそれぞれに、1:1の有意義な時間を過ごしましたが、礼拝には出ないで1:1の相談に来られました。

私は、語りたいことの多くを説教で語ります。しかし、その話を聞いていなくて、「好きな人がいるんですけど、どうしたらいいでしょうか・・・」みたいな相談をされて、何と答えて良いか困ってしまいました。

�� 「あなたはその人が好きですか?」
�� 「あなたはその人とどうしたいのですか?」

と聞きましたが、好きなのか?嫌いなのか?がはっきりしないし、どうしたいのかもはっきりしません。

「相手が僕のことをよく思ってくれたら親しくなりたい・・・」とあいまいなので、「お祈りをして、神様に相談をして決めて下さい」とアドバイスをして、お祈りをして面談を終えました。

私は、基本的に、礼拝に出てくれた人と面談をすることにしています。

それは、説教をちゃんと聞いてくれて、理解してくれたら、あとは神様に祈ればすべて解決できるからです。その上で、「こういう場合はどう考えたらよいでしょうか?」と質問してくれれば、具体的にアドバイスができますので、礼拝+相談というのがベストだと思います。

相談の内容は、
�� 具体的なアドバイスを求める
�� 心がつらいので楽になりたい

2つのうちどちらかです。

神様は、この時のために、私にたくさんの試練を与え、神様による解決を与えて下さったんだなと思います。

試練とは、私が苦しんでいるのに、神があえて助けてくれない状況です。

それは暗闇であり、絶望です。

しかし、その状況の中ではじめて、「神様助けて下さい!」と叫ぶようになり、神は、その時私を助けて下さいます。

だから、私に助けを求めてくる人がいても、安易に助けません。安易に慰めないし、安易にほめないし、安易に手出ししないことにしています。

それは、神様が、あえてその人に試練を与えて、「神様助けて下さい!」と叫ばせようとしているのに、私が横から手を出したとしたら、神の邪魔をしていることになるからです。

暗闇や絶望は、そう考えると一番の祝福であり、希望なのです。そこで神と出会い、神からの助けを受けられるからです。

私は、今日本全体が暗闇に閉ざされ、絶望に追い込まれつつあるように感じます。今まで多くの日本人は、神を必要として来ませんでした。その状況の中で、いくら「キリストを信じなさい!」と叫んでも、真夏にコタツを用意したり、真冬に扇風機を提供するようなもので、間に合っている状況でした。

コタツは真冬にこそ必要なものであり、扇風機は真夏にこそ必要です。同じように、神は暗闇と絶望の中でこそ必要になります。

今日は、一長一短についてお話をしていますが、私は、人々が幸せで、満たされて、お腹一杯になっている状況と、人々の心と現実が苦しみ、渇き、飢えている状態においては、一長一短ではなく、後者の人々の心と現実が苦しみ、渇き、飢えている状態の方がはるかに良いと思います。

人々は、その苦しい状況の中でこそ神を必要とし、神を求めるようになり、結果として幸せになり、祝福されるからです。

『イエスは目を上げて弟子たちを見つめながら、話しだされた。「貧しい者は幸いです。神の国はあなたがたのものだから。いま飢えている者は幸いです。やがてあなたがたは満ち足りるから。いま泣く者は幸いです。やがてあなたがたは笑うから。』(ルカ6:20〜21)

『しかし、あなたがた富む者は哀れです。慰めをすでに受けているから。いま食べ飽きているあなたがたは哀れです。やがて飢えるようになるから。いま笑うあなたがたは哀れです。やがて悲しみ泣くようになるから。』(ルカ6:24〜25)

キリスト教が広がってきたのは、多くの場合、絶望的な状況であったり、迫害されるような状況であったり、苦しい状況の中でした。

キリスト教を受け入れた国は、多くの場合、経済的にも、あらゆる面で豊かになります。しかし、そうなると、神によって祝福された国なのに、人々は神を忘れ、神を求めなくなります。

教会にも、そういう人が時々います。

苦しくて神を求めて教会に来るようになったのに、環境が恵まれ、心が満たされるようになると、神への関心が薄くなり、神を求めなくなってしまいます。

病気になり、神様にいやしを求めて熱心に教会に来た人が、病気がなおった途端、教会に来なくなった人もいました。教会を病院と同じように考えたのだと思います。

今日、みなさんの中に、苦しんでいる人がいたとしたら、神様があなたをあえて助けないで、あなたが神を求めることを待っておられます。

そして、神様があなたを愛しておられるので、定期的に試練がやってきます。試練がなければ、すぐに神への関心が薄くなり、神を求めなくなってしまうからです。

聖書が、『貧しい者は幸いです。』『いま飢えている者は幸いです。』『いま泣く者は幸いです。』と言われるのは、神があなたを満たされるからです。

あなたは愛されています。

素敵な夜を。おやすみなさい。
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