http://9001.teacup.com/sfk/bbs/16146 (写真入り記事)
小学校の頃、勉強も運動も中ぐらいのレベルでした。人は不思議です。何か一つでも取り得があるなら、それが支えとなります。
私の場合は、背が一番高かったこと。喧嘩や腕相撲が強かったこと。自転車に乗るのが上手だったこと。そして、一年中、半そで半ズボンでした。寒さに強かったようです。
中学生になり、私を支えてくれた一言がありました。
担任ではなく、隣のクラスの数学の先生が、「菅野君は、他の教科は中くらいだけど、数学はとてもよくできる。これを伸ばしていったら大成するぞ、がんばってな!」と言ってくれました。
その他、校長先生が私を校長室に呼んで、二人っきりになっては、「君は器が大きい。偉大な人になれる。今のままでいいと思ってないはずだ。夢を持ちなさい。前に向かっていきなさい!」と、私を励ましてくれました。
人には、それぞれ長所や取り得があります。
息子は、現在中学三年生で、受験勉強を必死にがんばっています。
息子の取り得はスポーツでした。サッカー部に入り、サッカー選手として活躍しました。また、足が速かったため、陸上部でもないのに、駅伝や陸上大会にも出場しました。
しかし、中三の夏休み前頃に、担任の先生と英語の先生の一言から、突然スイッチが入ったかのように勉強をするようになりました。
英語の先生の励ましの言葉により、英語が好きになりました。また、担任の先生からの、「菅野、このままでイイと思うのか?」という叱咤激励の言葉から、サッカー部を引退し、受験勉強に専念するようになりました。
それまでは、全般的に運動が得意だったため、それを取り柄と考えて、毎朝、早朝からの朝練をし、体育の授業はお手の物で、放課後も真っ暗になるまで部活を夢中になってやっていました。
ところで、うちの子供たちは、誰も塾に通わせたことがありません。
塾に通わせなければ授業についていけなかったり、願うような学校に入学することができないとしたら、おかしいと思っていたからです。
学校の授業を真剣に聞き、宿題をし、何度も復習しているのに、それだけで十分でないとしたら、何のための学校なのかわからないからです。
わからなければ、放課後に残って、わかるようになるまで勉強を教えてもらえばよいのです。
ところが、勉強に対してやる気がなければ、その場限りで流してしまうのです。テストでそこそこの点数を取れれば、ちゃんと理解してなくてもいいと思ってしまいます。
小学生レベルならば、多少理解できない個所があっても、そこで落ちこぼれてしまうことはありません。しかし、中学生になると、ある科目のある場所で躓くと、その後も引き続き躓いてしまって、そこで落ちこぼれてしまいます。
どこで躓いたのかをはっきりさせて、そこに戻って勉強をし直さなければ、中途半端な知識しか見につかなくなってしまいます。
聖書は、「あなたはよく忍耐して、わたしの名のために耐え忍び、疲れたことがなかった。しかし、あなたには非難すべきことがある。あなたは初めの愛から離れてしまった。それで、あなたは、どこから落ちたかを思い出し、悔い改めて、初めの行ないをしなさい。もしそうでなく、悔い改めることをしないならば、わたしは、あなたのところに行って、あなたの燭台をその置かれた所から取りはずしてしまおう。」(ヨハネの黙示録2章3〜5節)と書かれています。
イエス様は、エペソ教会に向けて、「あなたは、どこから落ちたかを思い出し、悔い改めて、初めの行ないをしなさい。」と語りました。これは、勉強においても適用できる言葉だと思います。
受験を控えている息子は、運動に力を集中させ過ぎたことから、要所要所で理解が欠けている部分があります。
高校受験の試験範囲は、大半が中一と中二の範囲から出ますので、中一から中三まで徹底して復習をし、もし、わからない箇所があるとしたら、小学校のある部分にまでも遡って勉強をするようにと叱咤激励しています。
息子が、中一の頃から勉強をしていたら、今頃は、受験できる高校の選択肢がもっと広がっていたと思います。
よい高校に入り、よい大学を目指す理由が、偉い人になるとか、よい会社に就職してたくさんの給料をもらえるようになるためというのも悪くありませんが、そういうことよりも、自分の将来の選択肢が広がることにこそ目指すべき理由があると思います。
仮に、選択肢が少なかったとしても、自分の目指す生き方をし、目指す職業に就けるとしたら、何も問題はありません。幸せです。
しかし、勉強が足りなかったばかりに、未来の選択肢が狭まり、夢をあきらめるとしたら、残念なことです。
学生時代は、勉強をたくさんした方がいいに決まっています。しかし、無理やり勉強させようとしても、かえって勉強嫌いになってしまったり、勉強量の割には学力向上につながらなかったりするものです。
大切なことは、偉大な夢を持てるように励ますことです。夢が定まったら、勉強のスイッチは入るはずです。
その時点で、目指す高校や大学には学力がもう少し必要なら、その時塾に入れてあげようと思っていました。
息子の場合は、時すでに遅しです。今入ったとしても、息子が習うべき内容はとっくに終わって、受験に強くなるための武器を手に持たせている段階なので、「今入っても無駄です」と言われてしまいました。
しかし、私は遅いと思っていません。今が息子のスタートの時であり、これから目標と夢に向かって走り続けてくれたらよいと思っています。
塾に入ると、復習はおろか、先々の予習をさせてくれます。やる気が無くても塾に行かせれば、刺激を受けて目標や夢を持ち、向上心を抱くようになり、一生懸命に勉強をするようになるかも知れません。
しかし、頭が固いのでしょうか。私は、しっかり復習さえしていれば、必ず学校の勉強についていけるばかりか、五段階で四以上は取れるようになると思います。そして、そこそこの学校に入れると思います。
そして、もう少し生成期や内申を上げる必要が生じた時に、塾に入れてあげたとしても遅くはないと思っています。
私の子どもたちは、同じ部屋で四人が一緒に勉強をしています。そのような過酷な環境の中で、今までよくぞ勉強をがんばって来れたと思っています。
人が一番やる気が出るのは、神と和解をし、神から与えられた使命を受け取り、使命に向かって生きる時です。
そうなったら、勉強のスイッチが入ります。そして、勉強の必要性を感じて、勉強をしだしたらしめたものです。
「求めよ。さらば与えられん。」とあるように、求めがあるところに、必要としているものが与えられるからです。
お互いに、自分の使命を知り、その使命に向かって生きて参りましょう。
素敵な週末をお過ごし下さい。
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