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2015年11月01日22:33

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「一日一シャ〈謝と謝と赦と写〉【207】 2015/11/1(日) 教会は生き物」

https://www.facebook.com/kanno3/videos/1115423191854738/?l=8346825434993274694 (フルートとピアノ演奏の動画)

http://9001.teacup.com/sfk/bbs/16133 (写真入り記事)

私が一番幸せを感じるのは、毎週日曜日の教会です。

今日は、教会を離れてだいぶ経つ久しぶりの人が数人来られました。これは私の心に大きな喜びを与えてくれました。

また、娘が親しくしている友人を教会に誘って来ました。このお嬢さんは、私の恩師である岸義紘牧師のお孫さんで、フルートが上手で、2人で長い時間演奏をしていましたし、礼拝の中でも演奏してくれました。

礼拝後には、来られた方々と深く交わって、充実した時間を過ごすことができました。日曜日は長い一日ですが、本当に充実した一日です。

教会は生き物だと感じます。

聖書は、『教会はキリストのからだであり、いっさいのものをいっさいのものによって満たす方の満ちておられるところです。』(エペソ1章23節)と語ります。

キリストの体にはいのちがあり、生きています。

�� 教会とは、建物ではありません。神に召された人の集まりです。
�� 教会とは、ピラミッド組織ではありません。キリストの体です。
�� 教会には、優劣はありません。人に優劣がないように、あるのは違いだけです。

1、 教会は人々です

教会堂が大通りに面していて、建物が大きいと、『大きな教会』と呼ぶことがあります。それは、教会の建物が大きいのであって、教会の大きさとは違います。

教会は建物ではなく、人々です。

2、 教会はピラミッド組織ではなくキリストの体です

世の中の組織図を見るとピラミッド型をしています。上に行くほど少なくなり、偉くなります。

もし教会でピラミッド組織を作るとしたら、頂点に座るのはイエス・キリストです。しかし多くの場合、牧師が頂点で、その下に長老や役員が座り、一番下は平信徒です。

牧師、長老、役員、執事、信徒は働きや立場の違いであって、優劣ではありません。牧師に従うのは、牧師が偉くて、実力があるからではなく、その立場にいるからです。

教会の本当の組織図は、体の形です。頭がキリストで、牧師、役員、執事、教会員は、体の一器官です。器官に優劣はなく、むしろ、目立たない器官の方が大切な場合があります。

『神はみこころに従って、からだの中にそれぞれの器官を備えてくださったのです。もし、全部がただ一つの器官であったら、からだはいったいどこにあるのでしょう。しかしこういうわけで、器官は多くありますが、からだは一つなのです。そこで、目が手に向かって、「私はあなたを必要としない」と言うことはできないし、頭が足に向かって、「私はあなたを必要としない」と言うこともできません。それどころか、からだの中で比較的に弱いと見られる器官が、かえってなくてはならないものなのです。また、私たちは、からだの中で比較的に尊くないとみなす器官を、ことさらに尊びます。こうして、私たちの見ばえのしない器官は、ことさらに良いかっこうになりますが、かっこうの良い器官にはその必要がありません。しかし神は、劣ったところをことさらに尊んで、からだをこのように調和させてくださったのです。それは、からだの中に分裂がなく、各部分が互いにいたわり合うためです。もし一つの部分が苦しめば、すべての部分がともに苦しみ、もし一つの部分が尊ばれれば、すべての部分がともに喜ぶのです。あなたがたはキリストのからだであって、ひとりひとりは各器官なのです。』(第一コリント12:18〜27)

3、教会に優劣はありません

大会の教会協力で、500以上の教会を回りましたが、どの教会にもそれぞれ素晴らしい点があると感じました。

しかし、人数が少ないことで劣等意識を持っている牧師とたくさん出会ってきました。そんな意識を持つ必要はないのに、苦しんでいるのです。それは福音ではありません。

10人集まる教会でも、100人集まる教会でも、1000人集まる教会でも、10000人集まる教会でも、100000人集まる教会でも、そこに集まる1人の価値は同じです。

どうしてそんなことを比べる必要があるのでしょうか?

『みんな違う。みんな素晴らしい!』

これは、教会においても言えますが、私たち一人ひとりにも同じことが言えます。

聖書が教える福音は、そのことを明確に私たちに教えます。

私たちは、自分の容姿、持ち物、立場、経済、学歴、成果、実力などが自分の存在価値の一部としていないでしょうか?

他と比べて優れていると感じたら自信を持ち、まあまあならまあまあだと考え、劣っていると劣っていると感じているとしたらズレています。

神に似せられて素晴らしく造られたこと、イエス様に愛されていることが自分の価値のよりどころであるべきです。

教会は生き物です。

その素晴らしい一人ひとりが集まるからです。

何と麗しいのでしょうか。

『見よ。兄弟たちが一つになって共に住むことは、なんというしあわせ、なんという楽しさであろう。』(詩篇133:1)

クリスチャンのみなさん、自分が所属する地域の教会を愛して下さい。他の教会と比較して、大きいとか、小さいとか、優れているとか、劣っているとか考えるのではなく、キリストの体であり、キリストのいのちでつながっていて、教会は生きているから素晴らしいのです。

その素晴らしい教会の中に、新しい人々が招かれ、長くいる人も、最近加わった人も、みんなが大切にし合い、共に奉仕をし、一致し、キリストの身丈まで成長させていただきたいですね。

『こうして、キリストご自身が、ある人を使徒、ある人を預言者、ある人を伝道者、ある人を牧師また教師として、お立てになったのです。それは、聖徒たちを整えて奉仕の働きをさせ、キリストのからだを建て上げるためであり、ついに、私たちがみな、信仰の一致と神の御子に関する知識の一致とに達し、完全におとなになって、キリストの満ち満ちた身たけにまで達するためです。』(エペソ4:11〜13)

かつて教会に行っていたけれど、何らかの理由で今は行っていない人がいたら、もう一度教会に行ってみませんか?

まだ教会に行ったことがない方は、一度教会に行ってみませんか?

新しい一週間、素晴らしい一日一日でありますように。

今日もありがとうございました。
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