http://9001.teacup.com/sfk/bbs/16098 (写真入り記事)
今日は、一週間ぶりに教会訪問に出かけました。
フランクリン・グラハム大会は、何かに例えるとしたら、総合デパートのような会です。どんなクリスチャン、どんな教会、どんな人でも働き場所がありますし、ニーズが満たされるような大風呂敷です。
それに対して、通常、超教派で行われる会は、『ラーメン屋』『お寿司屋』『そば屋』などのように、専門店であり、それぞれの分野に特化した会です。例えば、祈祷会、コンサート、セミナー、きよめやいやしの聖会、ゴスペル・ワークショップ&コンサートなどです。
私は、教会訪問(動員)委員会に所属していますので、ひたすら外回りの営業のような仕事をしてきましたが、事務局をはじめ、それぞれの役割に分かれて、それぞれの委員が仕事を分担して行っています。
全体の委員会(会議)に出ないと、他の部署でどんなことが起こっているのか、どんな仕事をして、どれくらい進んでいるのかなどを知ることができません。
こういうシステムはアメリカ的です。
日本のシステムですと、そうはいきません。みんなで同じ情報を共有し、集まって同じ仕事をします。人海戦術で手早く仕事を終わらせられますが、多くの時間を割くことになるし、非効率的ですが、何となく日本的でいいですよね。
その点アメリカ式システムは、自分の役割だけ忠実にやっていれば評価されますし、他の部署の仕事に手を出す必要はありません。
組織の中での力は『情報』と『リーダーシップ』です。
総務局や事務局などの取りまとめの仕事はたいへんですが、全体を知っていますし、情報量も多いので、中間リーダーとして実質的に仕切る立場に立つ必要があります。
以前、ある大会で、総務を任されたことがありますが、向いてないなーと感じました。もう一つ向いてないのは書記です。私は、現場仕事の方が向いているし、生き生きします。
大会当日は、舞台進行に携わることになりそうです。じっと席について、『ハレルヤ!アーメン!』といっているのも悪くありませんが、自分の能力に合った仕事とポジションが与えられて、一生懸命に奉仕をしている方が性にあっていると思います。
大会が近くなり、教会訪問をする回数は、おそらく、片手で数えられるくらいしかできないと思います。一回一回の訪問が貴重な機会だなーと感じます。
今日は、千葉県の流山市と柏市の2つを回る予定でしたが、意外と教会が少ないので、仕方なく埼玉県の春日部市、杉戸町、幸手市、久喜市などの地域を回り、21教会を訪問しました。
今日は、数を回るよりは、ゆったりと一つひとつの教会を回ろうと決めていました。
多くの教会が、『どうぞお入り下さい!』と招き入れてくれましたが、いくつかの教会では門前払いで、資料も受け取ってくれなかったり、『アポなしで来るなんて失礼だ!』と機嫌を悪くされる人もいました。
それから、断られるケースも多くありました。理由は、『立場が違いますので・・・』ということでした。
言いたいことはわかるのですが、『本当に立場が違うんですか!?』と聞き返したくもなりました。もし立場が違うとしたら、クリスチャンではないのでしょうか!?。
しかし、フランクリン・グラハム大会は、福音派の団体です。それに対して立場が違うというのは、おそらく、『私たちは社会派ですから・・・』というものだと思います。
ここでいう同じ立場、違う立場は、総論と各論の違いみたいなものだと思います。
私は、超教派の活動をしていますので、最大公約数的なところで共通点を探ろうとします。また、聖書が語る範囲内で、多様性や個性を認め、聖書がはっきり『間違い!』だと言わないことに関しては、カルトや異端という認定はしません。そして、『同じ立場で、同じイエス様を伝道していきましょう!』というスタンスです。
しかし、違う立場と考える方々は、簡単に言えば、『そこは譲れないので別々にやりましょう!』ということだと思います。これも無駄な摩擦を起こさないための知恵かも知れません。
私自身、超教派の大会より、地域に根ざした教会の伝道の方がはるかに重要だと思っていますので、『私も同じ考えです』と言いますし、帰り際に、『先生にお会いできて感謝です』と笑顔で握手をしながら別れることにしていますが、たいていはうれしそうな顔をしてくれます。
第一義的には大会の動員を忠実におこなっていますが、その結果として、その先生と親しくなり、祈り合い、ともに助け合って日本の伝道ができたらいいなーと思っています。これはおまけです。メインではありません。しかし、心の底から、その先生とお会いできて良かったと思います。
今日は、何人もの先生との再会、あるいは、facebookで知り合いだけど会ったことがない先生にもお会いできました。真理先生、感謝です。たくさんの出会いも与えられて、ただただ感謝でした。
そして、門前払いをされても、その先生とお会いできたことに感謝をしています。こういう機会でもなければ絶対に会えないですからね。神様は素晴らしいです。
最後に、『同じ立場』と『違う立場』についてお話します。
『同じ立場』という点においては、
�� 私たちは互いに神に似せられて、
�� 神に造られた存在です。
�� 同じ罪人として兄弟姉妹です。
『違う立場』とういう点においては、
�� 神は私を私であるように造られました。ゆえに他人と違っていい。
�� 他人と私は違う人間として造られました。人と自分を比較する必要はありません。
�� 人の真似をする必要はありません。自分に与えられた才能を使い、自分に与えられた道をひたすら歩みましょう。
『同じ立場』と『違う立場』を踏まえた上で、互いに認め合い、尊敬し合い、愛し合い、赦し合い、受け入れ合っていきたいですね。
今日は、ゆっくり教会訪問したので、いつものように25教会は回れませんでしたが、本当に貴重な出会いと再会がたくさんありました。とても素晴らしい一日でした。
最近、インフルエンザが流行りはじめているので、今日の夜にインフルエンザの予防接種をうちに行こうと決めていました。
遅くまでやっている病院が家の近くにあるので、電話で連絡を取り合って、妻と子供も先に病院に来ていました。
渋滞に巻き込まれましたが、閉院2分前に着きました。疲れきってしまいました。
実際、帰り道に渋滞に巻き込まれた時には、『今日はダメかも知れない?!』とあきらめかけました。
最初は、『神様、あなたがすべてをご存知です。あなたの手にゆだねます。』とゆったりと祈っていましたが、次第にテンションが上がっていきました。
『神様!あなたが着かせて下さると信じます!!!!』
さらに祈りはエスカレートしていきました。
『神様!何とかしてください!!!』
『神様!!時間を止めて下さい!!!!!』
最後は、『渋滞解消せよ!!!!!道よ空け!!!!!!!』と、繰り返し語っていました。
とにかく必死に祈りました。その結果、2分前に着けました。神様感謝します。本当に感謝します。ありがとうございます。ただ神に栄光を捧げます。
不思議ですね。『渋滞解消せよ!!!!!道よ空け!!!!!!!』と祈ってると、段々道が空いて来るのです。
みなさんも困ったときには、そんなワンフレーズの祈りをしてみて下さい。
『また、弟子たちに言われた。「あなたがたのうちのだれかに友達がいて、真夜中にその人のところに行き、次のように言ったとしよう。『友よ、パンを三つ貸してください。旅行中の友達がわたしのところに立ち寄ったが、何も出すものがないのです。』すると、その人は家の中から答えるにちがいない。『面倒をかけないでください。もう戸は閉めたし、子供たちはわたしのそばで寝ています。起きてあなたに何かをあげるわけにはいきません。』しかし、言っておく。その人は、友達だからということでは起きて何か与えるようなことはなくても、しつように頼めば、起きて来て必要なものは何でも与えるであろう。そこで、わたしは言っておく。求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。だれでも、求める者は受け、探す者は見つけ、門をたたく者には開かれる。あなたがたの中に、魚を欲しがる子供に、魚の代わりに蛇を与える父親がいるだろうか。また、卵を欲しがるのに、さそりを与える父親がいるだろうか。このように、あなたがたは悪い者でありながらも、自分の子供には良い物を与えることを知っている。まして天の父は求める者に聖霊を与えてくださる。』(ルカによる福音書11章5〜13)
『いつでも祈るべきであり、失望してはならないことを教えるために、イエスは彼らにたとえを話された。「ある町に、神を恐れず、人を人とも思わない裁判官がいた。その町に、ひとりのやもめがいたが、彼のところにやって来ては、『私の相手をさばいて、私を守ってください』と言っていた。彼は、しばらくは取り合わないでいたが、後には心ひそかに『私は神を恐れず人を人とも思わないが、どうも、このやもめは、うるさくてしかたがないから、この女のために裁判をしてやることにしよう。でないと、ひっきりなしにやって来てうるさくてしかたがない』と言った。」主は言われた。「不正な裁判官の言っていることを聞きなさい。まして神は、夜昼神を呼び求めている選民のためにさばきをつけないで、いつまでもそのことを放っておかれることがあるでしょうか。』(ルカによる福音書18章1〜7)
みなさん、お疲れ様でした。素敵なフラデーナイト、華金をお過ごし下さい。
また明日(^-^)/
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