http://9001.teacup.com/sfk/bbs/16087 (写真入り記事)
長く、楽しい一日が終わりました。今日は、自分の仕える教会を空けて、お招き頂いた教会で2回の説教をさせて頂きました。感謝でいっぱいの一日でした。
とにかく、底抜けに明るい教会でした。
最初に出てきたワーシップ・リーダーが開口一番、『今日は私の女性関係についてお話します・・・』と切り出すものですから、さすがに会衆一同が驚いて、『えーーーーっ!?』という声が上がりました。まあ、結論から言えば、メスの飼い犬の話なんですが、いきなりぶっ飛びました。
次に、私を今日のスペシャルゲストとして紹介してくださったのが、元女子プロレスラー世界チャンピオンですが、『菅野先生とは一夜を共にした関係です・・・』と切り出され、大爆笑でした。これも結論から言えば、一緒に徹夜祈祷会で奉仕をしたというだけのことなんですが、礼拝でそういうトークが普通にされることに自由と開放感を感じました。
私の説教に対して、聴衆の反応があまりにもいいので、準備していない内容のメッセージまでがどんどん飛び出て、半分以上がアドリブで説教をしました。
これの反対のことが教会の中で起こることがあります。
『牧師殺すにゃ刃物はいらない!』と言われますが、つまらなそうな顔や、『早く終われ!』という顔の一つで、牧師は萎縮してそれ以上説教ができなくなります。
しかし、大喜びで反応してくれると、自由になり、準備していないのに、その場にいる人に必要なメッセージがどんどん湧き上がって来ます。
礼拝の説教は、1:複数の関係ですが、普通の人間関係でも同じことが言えると思います。心を開き、笑顔で話を聞き、好意的に反応してくれると会話ははずみ、良い人間関係が作られます。
ところで、教会に集まる聴衆は、牧師の説教を聞いて恵まれますが、牧師は、一方的に語るだけではなく、自分の口で語る言葉を自分の耳で聞くことで説教を聞いて恵まれるのです。
聖書は、どこを開いても神の愛と福音(=良いニュース)が書かれていますが、いつも福音を語っている牧師は、自分でそのメッセージを耳で聞きますので、日頃どんな説教を語っているかは、その人の表情や生き様を見たらわかります。
聖書を本気で語っている人は、喜びに満ち、謙遜で、愛に溢れているはずです。その反対の、『こうしなければならない!』『こうしてはいけない!』という律法ばかり語っている人は、喜びがなく、高慢で、人をすぐに裁きます。
律法、つまり、『こうしなければならない!』『こうしてはいけない!』と語ると、その反対の反応が湧き上がるものです。『こうしなければならない!』と言われると、『やりたくない!』という気持ちになり、『こうしてはいけない!』と言われるとやりたくなるものです。
律法は、人に罪を教え、イエス様が必要だということを悟らせます。そうしたら、そのままの姿でイエス様のところにいけばいいのです。これが律法の役割です。
『こうしなければならない!』『こうしてはいけない!』と言われてできるくらいなら、イエス様は必要ありません。
今日も、福音を語ることができて幸せです。
これが心のごはんですが、お昼と夜においしい食事を牧師先生方と食べました。
昼は、うなぎのひつまぶし、夜は、サーロインステーキでした。
心も体もお腹いっぱいで帰ってきましたが、残念だったのが、新宿福興教会のみなさんとお会いできなかったことです。今から来週が待ち遠しいです。
ぜひみなさん、福音を、聖書の言葉を語って下さい。これが心のごはんです。
人は、口で語る言葉でその人の心が満たされ、その人の人格が作られていきます。
神を信じ、神に頼り、人を赦し、人を愛し、感謝することを選び、前向き、積極的、肯定的な言葉を口で語って下さい。
その語る言葉が、自分とその言葉を聞く人を幸せにします。新しい一週間も、そんな言葉を語っていきましょう。
明日まで連休ですね。明日も良い一日でありますように。
お疲れ様でした。
ログインしてコメントを確認・投稿する