日曜日は、明け方、ザアザアと云う激しい雨音で目が醒めました。
外を見たら、傘が役に立たない様な土砂降り。
前途多難を思わせます。
それでも、金沢には行かねばならないので、7時10分の加賀温泉バスで出発。
加賀温泉を7時29分発の金沢行きに乗車。
金沢は晴れてました。
流石は晴れ女まなにゃー。
金沢駅から、徒歩で尾山神社へ。
神門をくぐり抜け、御詣り。
何度と無く御詣りに来ましたが、御朱印を頂くのは初めて。
境内に、「さし石」と云うものがありました。
摂社・金谷神社に詣り、東神門へ。
これは金沢城二ノ丸唐門で、数少ない金沢城の遺構であります。
尾崎神社に参拝。
そして金沢城へ。
先ずは城内に今も残る、陸軍歩兵第六旅団指令部庁舎。
この庁舎は明治31年に建てられた木造平屋建ての建物です。
当時は、陸軍本省が各師団建物の設計をしていたため、全国に同様の建物が建てられております。
そして数少ない金沢城の遺構、三十間長屋。
内部を公開しておりました。
ここ最近は、土日は公開しているそうです。
三の丸広場に来たら、北陸三県のPRイベントをやっておりました。
福井県のブース。
気合いが入ってます。
恐竜博士もいました。
ゆるキャラも会場内を歩いてました。
片山津温泉の、かもやんです。
他にも色んなゆるキャラがいてました。
金沢城菱櫓・五十間長屋・橋爪門続櫓も内部を無料公開してました。
なので、内部から撮影。
再現された、五十間長屋。
当時の工法そのままに、建て直しているそうです。
石川門も内部を公開しておりました。
まなにゃーさんは、ラッキーです。
定番の位置で、記念撮影。
兼六園へ。
入場券を買おうと窓口に行き、「二人分」と云ったら
「お一人は未成年ですか?」
と云われて、またまた「?」が飛び交う。
またもや、まなにゃーさんが未成年に見られたらしい。
そのうち汁さん
「お巡りさんこの人です」
と云われそうww
日本最古の噴水。
ここを進むと瓢池。
その端にある老舗料亭「三芳庵」で懐石を頂きました。
兼六園が一般開放された翌年の明治8年、前田家の茶室・夕顔亭を管理する為の「本館」とすぐ前の瓢池の畔に浮かぶ「水亭」、そして瓢池に落ちる翠滝の上に建つ「別荘」の三つの庵を持つことから「三芳庵」と名付けられました。
宮様にもご愛顧頂いた由緒ある料亭です。
兼六園の瓢池を愛でながらの懐石、何とも贅沢な時間でした。
酒は勿論、加賀菊酒「日榮」
まなにゃーさんもご満悦。
瓢池は、池の中ほどがくびれており瓢箪の形をしているのでその名が付いたといわれています。
もともとここには藩政時代以前より池や沼があり、蓮の花が植えられていたことから「蓮池庭」と呼ばれており、兼六園の作庭はこの一帯より始められました。
その瓢池に浮かぶ水亭と、那智滝を模したと云われる翠滝。
此方で懐石を頂けます。
その隣に、茶室・夕顔亭。
そして、三芳亭本館。
昼食後、兼六園を散策。
兼六園のシンボルである徽軫(ことじ)灯籠。
雁行橋など名所を巡ります。
兼六園に隣接した金沢神社。
寛政6年(1794年)、加賀藩11代藩主前田治脩が藩校明倫堂を建てた際、その鎮守社として、学問の神であり、前田家の祖先とされる菅原道真を奉斎する神社を創建したのがその起源です。
更に金沢の地名の由来となった湧き水「金城霊沢」(きんじょうれいたく)。
芋掘り藤五郎の「金洗いの沢」伝説が伝わり、文禄元年(1592)、前田利家がその名にちなみ、町の名前を「金沢」と改めたそうです。
芋掘り藤五郎の伝説は、此方に記載されています。
http://www.spacelan.ne.jp/~daiman/data/zatugaku02.htm
兼六園を後にし、石川護国神社へ参詣。
そして、ひがし茶屋街へ。
しかし、想像を絶する人の波に、早々に離脱。
武蔵まで戻り、名鉄丸越にある「カフェぶどうの木」で休憩。
美味しいケーキにまなにゃーさんもご満悦。
近江町市場に寄り、金沢駅へ。
時間があったので、土産品を物色。
因みに、金沢駅構内の喫茶店は軒並み長蛇の列。名鉄丸越で休憩したのは正解でした。
15時53分発の新幹線「かがやき」で帰るまなにゃーさんをお見送り。
そして汁さんは、16時15分の福井行きに乗車。
うとうとしながら、加賀温泉に到着。
17時10分の加賀温泉バスで山代温泉東口へ。
スーパーで買い物。
晩飯は、芝寿しのお弁当をメインに、
近江町市場で買ったドジョウの蒲焼きに造りなど。
芝寿しの弁当はこんな感じ。
なかなか良い感じです。
今回は天候に恵まれ、久し振りに金沢観光が出来て、本当に良かったのです。
「芋掘り藤五郎譚」
昔々1000年ぐらい前、加賀の山科(現在の金沢市郊外)という所に、山芋(自然薯)を掘って暮らす藤五郎という、貧しいけれど無欲で礼儀正しい若者がいました。
ある日、藤五郎のもとに、*大和の国から、生玉方信(いくたま・ほうしん)という信心深い長者が娘を連れて訪れ、夢で観音様のお告げがあったので、その和子(わご)という美しい娘を嫁にしてほしいと言います。藤五郎は断りましたが、長者はきかず、娘をおいて帰ってしまいました。
和子はたくさんの持参金を持って嫁いで来たのですが、藤五郎は貧しい人たちに分け与えてしまったので、すっかり無くなってしまいました。
生活があまりに貧しいので、和子は最初とまどいましたが、そのうち貧乏にも慣れ、藤五郎と仲むつまじく暮らしていました。
*大和の国・・・大和の初瀬(はせ)。現在の奈良県桜井市の地で、初瀬は長谷ともいう。
そんなある日、娘夫婦の貧乏を見かねた大和の実家から、砂金の入った袋を送ってきたのです。和子は大喜びで、藤五郎に袋を渡し、さっそく食べ物や着物の買い物を頼みました。
買い物に行く途中、藤五郎は通りかかった田圃に雁の群れを見つけました。獲ろうと思いましたが、あいにく投げる石が見あたりません。そこで持っていた砂金の袋を投げつけました。
雁は獲れず、投げた砂金袋もどこへいったかわからなくなってしまい、しかたなく彼は手ぶらで帰ってきました。
わけを聞いて和子は驚きました。
「あれだけのお金を、いくらなんでももったいない・・・」
和子は夫の人の良さにあきれ、しまいには情けなくなって怒り出しました。
藤五郎には、なんで和子が怒るのかわかりません。平気な顔をして言いました。
「あんなもの、芋を掘るといっぱい付いてくるんだがなあ」
「芋に砂金が付いてくるんですって?」
和子は半信半疑で藤五郎といっしょに山へ行き、ふたりで芋を掘りました。
そして、掘った芋を近くの泉で洗ってみました。
すると、きれいな水の中に金色のつぶがキラキラと、いっぱい光っていたのです。
和子は藤五郎にそれが砂金であることを教えました。
金城霊沢(きんじょうれいたく)
兼六園横の金沢神社のそばにあります。
藤五郎が開基とされ、藤五郎夫婦の墓がある伏見寺(真言宗)
金沢市寺町5丁目
藤五郎と和子は、たちまち大金持ちになりました。
でも二人は決してひとり占めにはせず、貧しい人たちに分け与えたため、暮らしは少しも変わりませんでした。
それでも二人は十分に幸せで、人々からは「芋掘り長者」と呼ばれて敬われました。
−おしまい−
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